焦点を絞る
東京に移り住んで半年が経った。
この街は情報の洪水で、大阪よりもっと顕著だ。
僕は考えすぎる性質だから、情報量が多いと余計に疲れてしまう。
エネルギーが足りないことによってこれまでどれだけのものを逃してきたか。
少ないエネルギーで望む結果を得るには、まず自分が本当に欲しいものは何か
目標を定めること。
そして周囲にある情報を意図的に制限することが重要だと思う。
最近はメルカリで本を50冊ぐらい売った。
数万円の軍資金が手に入ったのはもちろんのこと、今までより家にいて疲れなくなってきた気がする。
それに、残った本をより集中して読めるようになった。
前回の記事で書いたように、部署を異動することとなり
仕事においてもゼロからのスタートとなる。
テレアポから新規開拓をしていく業務なのだが、まずはひたすら電話をかけて
量をこなしていこうと思っている。
次こそは高い成果を上げて、スキルも市場価値も高めていきたい。
そうしてお金とスキルとコネクションができてくれば、様々なアイテムを手に入れて生活を効率化させることができる。
そして、自分が真に得たいものに向けてまた焦点を絞っていけるようになるのではないか。
ビル・ゲイツとバフェットが成功において最も大切なことは何かと聞かれた時に
2人とも「フォーカス」と答えたそうだ。
選択肢が圧倒的に増えた現代では、より何か1つのことに集中したものが
勝ち残っていくのだと思う。
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誰かを救いたいと思うことは美しいことだ。
創作だと『鬼滅の刃』の炭治郎や『フルーツ・バスケット』の本田透なんかは
純粋な心を持ち、実際に人を助けられる行動力と意思の強さを持っている。
僕はそんな人たちに憧れるが、自分の心の中を嘘偽りなく覗いたときに
そこまで純粋な人間ではないことに気づく。
勤務先の上司からも「君はプライドが高く、常に自分を上に置きたがる」と
言われたがあながち間違いではないだろう。
理想を言えば、清く正しく美しく生きたいし、人にはそれぞれの個性や価値があって
立場として対等であってほしいと思う。
でも、そんな世界を信じて生きるには自分を犠牲にしなければ難しいと思う。
僕よりももっとずるい人や汚い人はやはり一定数存在していて、
正しさだけではどうにも立ち向かえない場面がある。
それにずるい人の本質は、自分の利益を追求することを徹底している正直な人とも言えるのかもしれない。
何を目指すのか、自分の今の状況やしてきた選択をどう受け入れるのか。
思考遊びをしようと思えばいくらできるし、破滅しようと思えば一瞬だ。
僕はどう考えても考えすぎだ。
でも思考を止めることができない。人や世界を信じきれない。疑ってしまう。
僕が求めているのは、この人だけは信じられる。
この人のためなら何でもできる。と思えるような存在。
愛があれば、人は恐怖を乗り越えられる。納得して死ぬことができる。
そんな気がしている。