彼女と別れた

昨日の夜、3ヶ月付き合った彼女と別れた。

 

今や別のブログに技術記事を書いたりしているが、会社の顔が見え隠れする場所には書きたくないなと思ってここに書く。ここは闇の集積場なのかもしれない。

 

ただ、別に闇というわけではない。3ヶ月を共に過ごして、価値観の相違によって埋められない溝ができてしまったからだ。

 

彼女はフィリピンから昨年末に日本に住み込みで働きにきた。22歳で、通信制の大学に通う学生だ。日本語は簡単な言葉しか話せない。聞くのと書くのはけっこうできるみたい。そんな感じなので、ほとんど英語で会話をしていた。

 

僕はそこそこ英語を学んでいたので、流暢には話せないが意思疎通に関しては問題なくできていた。でも、日本語だと伝えられるような細かなニュアンスが伝えられなくてもどかしく感じることは多々あった。

 

今や28歳になって結婚を考え始めた。あと3日で29になる。将来もし子どもが生まれたら、言葉をどうやって教えるんだろう。そんなかすかな不安が胸の内にあった。まだ付き合って数ヶ月でそんなことに悩むなんてどうかしているなとも思うけど。

 

でも別れた原因は言語の壁じゃない。彼女は箱根に住んでいて、都内からだと2時間ぐらいかかる。最寄りの小田原でも1時間半はかかる。彼女はありがたいことに僕のことを結構好いてくれていて、1週間会えないだけでとても寂しくなって会いたがる。「I miss you」と何度も言われた。

 

そんな中、僕は半年前に転職したばかりの仕事に追いつくのに必死だった。箱根に行ってホテルに泊まって朝帰りしたり、時にはカラオケオールしたりして、身体はどんどん疲弊していった。家に連日で泊まりに来てくれることも月に1、2度あって、狭いシングルベットで寝返りも自由に打てない上に寝るのが深夜3時ごろになったりして、彼女が帰る頃には眠気が頭がほとんど回らない状態になっていた。

 

彼女は僕にもっと会いたい、僕は仕事と両立させるために会う頻度を減らしたい、それが決定的な別れの原因になった。

 

一度別れ話のようなことをした時に、今の頻度は疲れることを伝えた。彼女は取り乱していた。6月末に今の仕事を辞めて東京の近くに引っ越すとのことなので、それなら土日休みの仕事に就いてもらえば、毎週土曜に会えるよと提案してみた。ただし連日泊まるのは仕事に支障が出るから難しいと添えた。

 

でもそれもまた彼女の将来の選択肢を縮めることになるし、一緒にいたい時間の長さの違いという根本原因の解決にはなっていなかった。最終的に電話で「We don't match needs each other(お互いの利害が一致してない)」と言われて、明るい将来が見えないから別れようということになった。

 

とても性格の良い子だったので、別れた日の翌日の今はふと何気ないシーンを思い出したりして、感傷的な気持ちになる。ここに書こうと思ったのは、失恋から立ち直る方法として、別れるに至った状況を詳しく話す(書く)ことで、気持ちが整理される心理効果があることを知ったからだ。

 

たしかにこうやって客観的に説明できる形で書いてみると、寂しいけど、やっぱり別れの選択はお互いにとって正しかったんだなと気づいた。

 

ちょっと蛇足だけど、彼女は第一言語で、僕は第二言語でずっとやりとりをしていた。僕にとっての「I love you」は「大好きだよ」に比べると言葉に感情が乗りずらい。言葉は経験と記憶によって色づくものだから。それが気持ちの大きさに違いを生んでしまったのかも。

 

この3ヶ月で素敵な思い出もたくさんできたので、それを胸にこれからも全力で生きて行こうと思う。

分からないというスタンス

プログラミングばかりしていると、情緒的な筋力が衰えていくような気がして、もっと定期的に感覚的な内容を書くようにしようと思った。

 

今日はプロフェッショナルの流儀で大河ドラマに出演中の小栗旬が特集されていた。

 

400日の密着取材の中で、彼は問いかけに対して「わからない」と何度も繰り返す。

 

決して鬱陶しさ故に答えるのが面倒といった様子ではなく、色々と思案した挙句に、わからないという結論に至っているようだった。

 

このブログのタイトルと同じく、彼も内省をする人種なのではないかと思う。

 

簡単に結論やスタンスを決めてしまっては、心の奥深くまで届く作品は生まれないのではないのかなとなんとなく想像する。

 

考えた末にこうではないかと思って一定期間試してみて、でも途中で違和感が出てきて、他の結論を探す。それを繰り返すような生き方をしているのではないだろうか。

 

ただ、それが良いのか悪いのかは果たして分からない。そして、良い悪いという判断基準が本質的に必要な場面は、あまりないのではないかとも思う。

 

自分の目的に沿っているか、趣味に合うかというフィットしているかどうかという意味で使うなら正しいかもしれない。

 

でも人生に明確な目的を持っている人なんているのだろうか。たしかに意図的に何か夢のようなものを設定することはできるが、それは自分の視野を狭めて納得感を抱かせるための逃避とも言えて、人生が本来無目的であることから目を瞑って生きている人が大半なように思う。

 

小栗さんの印象的な言葉があって、「それを演じきった先に何があるのか?」という問いに対して、「わからない。でも、自分が通った道は残る」と言っていた。

 

実際には問われなかったが、「では、その残った道には何の意味があるんですか?」と問われたとしても彼はやはり「わからない」と答える気がした。

 

こうやって誰にも読まれない記事を書く意味もわからないし、後で自分が読み返す意味もよくわからない。それでも書こうと思ったのはなぜだろう。

 

彼は最後にプロフェッショナルとは何か?と聞かれて、色々と前置きをした上で、「恩返しです」と答えた。「自分をここまで連れてきてくれた人、応援してくれる人、今も一緒に闘ってくれる人に恩返しをするため」と。

 

ありきたりとも感じられそうな答えだけど、そこには強い実感が伴っていた。他の人と被らないことを言おうとかそんな意思はたぶんなくて、心の底からの思いを表現するに足る言葉がそれだったのだろう。

 

彼の言葉を信じるならば、人生に意味を作り出すのは、偶然の産物である人との交わりなのだと思う。

 

1人で生きているなら、意味なんて必要なくて、ただ目の前の快楽に溺れていればいい。

でも、誰かに何かをしてもらったから頑張っていつか恩を返そう。もしくは与えてもらったものをまた次の誰かに手渡していこう。そんな気持ちがあるだけで、人は意味のない人生を生きていけるのかもしれない。

 

特に結論じみたことは思い浮かばないが、今日感じたことを書き残せたので終わりにする。

 

無理しなくてもいい生き方

約1年ぶりぐらいの更新となったが、良い気づきがあったので書き残しておく。

 

エンジニアへの転職は想定以上にうまくいき、昨年末から半年ぐらいの実務経験を積むことができている。

現在は契約社員としてフルタイムで受託開発を行いつつ、2社と業務委託契約を結んでWeb開発を行っている状況だ。

 

月の総労働時間は220時間ぐらいになっているのに、全然辛くない。かなり頭を使うので疲れたな〜と思うことは度々あれど、エンジニア辞めたいなとはこれっぽっちも思わない。

 

やっと天職に巡り会えたのかもしれないという気がしている。

 

これまでに自分が書いた記事(特に2019年~2021年までの前職の期間)を読み返してみると、8時間も集中力もたないとか悔しくて悲しいとか弱音ばかりを吐いていて、過去の自分ってこんなだったのかと驚く。

 

たぶん合わない仕事(営業や繰り返しの単純作業)を無理に続けていたからだと思う。

 

YouTubeの意識高い系インフルエンサーの動画などをみていると、「圧倒的努力」とか「楽しくない作業も工夫すれば楽しめる」みたいな発言をしている人がいるが、少なくとも自分には合わないやり方だなと感じる。

 

自分の特性に合った仕事であれば、長く働いてもそれほど辛く感じないし、無理なく学習を継続したりできる。

 

それにエンジニア職に限っていえば、経験を重ねて実力が上がれば単価もどんどん上がって、時給1万円以上になれたりもする。(そこまでいくのはかなり厳しいが、5000円ぐらいなら凡人でも到達可能)

 

仮に時給5000円で働けるようになったら、月に60時間(週に5時間×3日)働くだけで十分な生活費を得られるようになる。

 

余った時間を使って旅に出るのもいいし、興味のある作曲活動とかに挑戦したりもできそうだ。

 

長々と書いたが、僕にとっての人生戦略においては、社会的な需要があってかつ人よりもラクに成果を出せる仕事(環境)を選ぶのが重要と気づいた。

 

だから、どんな環境でも圧倒的努力で突き抜けろみたいな考え方は間違っていたということだ(少なくとも僕にとっては)

 

前職は営業や単純作業など人よりラクにできない仕事をやってしまっていたから、もがき苦しむことになったのだと今になって思う。

 

エンジニアになる上で、資格を取るのは難しくなかったし、エンジニアとして仕事を得るのも世間で言われているよりずっと楽だった。思考を1日中こねくり回している自分のような人間には、最適の仕事だと思う。

 

ただ、半年しか開発経験がないので、ここからレベルの高い実装に入ったら挫折したりもするかもしれない。でも、現段階においては難易度の高い実装ほど楽しいと感じるし、知識が増えるごとに思考の密度も増して、どんどん楽しくなってきている。

 

エンジニアになってから1年後にまた書き残したい。