変えられるものを変えていく勇気

神よ、与えたまえ。

変えられないものを受け入れる平静な心を、

変えられるものを変えていく勇気を、

そして、その両者を見分ける知恵を。

これは「ニーバーの祈り」と呼ばれる有名な一節である。先月購入した『問題解決大全』で紹介されていた。今日もまた風呂場で、この一節に関するひらめきがあったので書き残しておく。

 

この一節を一言で表すなら、「自分が変えれることだけ考えよう」ということだと思う。昔から何事も真剣に捉えてしまう僕には、この考え方が生きていく上で重要ではないかと気づいた。

 

例えば僕は「この世界で生きているのは自分だけかもしれない」とか「実は自分はずっと夢の中にいるのかもしれない」という空想をよくするのだが、本当はそうだったしてもそれを確かめる術はない。

 

しかも、こういう思考はたいてい生産性のない方向に向かう。「生きてる意味なんてない」とか「どうせ夢なら何やらかしてもいいやん」とか「どこまでいっても自分は孤独で寂しい」などという破滅的な考えを生む。

 

こんな考えたってどうしようもないことにモヤモヤしている暇があるなら、今生きているこの瞬間をもっと味わったり、「自分の周りの大切な人たちに何を与えられるだろうか」ということを考えた方がいい。

 

『問題解決大全』では「ニーバーの仕分け」というメソッドを提唱しており、まず問題や課題を細分化し、それぞれに「可変度」という数値を割り当てていく。(可変度とは、文字のごとく「その対象の変えやすさ」を意味する)

 

「可変度の高いものから順にアプローチしていけば問題解決の可能性が高まる」というわけだ。例えば「過去の出来事」の可変度はゼロに近いが、「過去への解釈」は可変度が比較的高い。

「なんであんなことをしてしまったんだろう…」と黒歴史を悔やむ人よりも、「あの苦い経験があったからこそ今の自分がある」「次は同じ失敗をしないようにしよう」という前向きな解釈をする人の方がよっぽど生きやすいだろう。

 

これは思考だけではなく、あらゆることに当てはまる。

 

例えば恋愛なら「身長が低いからダメだ」じゃなくて、「低いから可愛がってもらえる」だとか、髪型や服装を変えるとか、話術を磨くとか、はたまた収入を増やすとか「可変度の高い道」はいくらでもある。

 

僕が小学生からやっている麻雀も同じで、「運」や「流れ」などコントロールできないものを無視して、「見えている牌から確率を考える」ことが勝ちに繋がる。

 

今後、何かくよくよ悩み出してしまったら、「悩んだところでどうにかできるか?」「それは変えられるのか?」と自分に問いかけて地に足の着いた思考をするようにしたい。

  もし誰かに悩みごとを相談されたときは、まずは気持ちを受け入れた後に「変えられるところから少しずつ手をつけていこうよ」と言おうと思う。

 

とはいえ「変えられないもの」に執着してしまうのが人間らしさなのも事実だ。

母は今、祖母が亡くなった喪失感からなかなか抜け出せないでいるが、そんな母に「いくら悲しんでもおばあちゃんは帰ってこないよ」と言うのは心苦しい。

 

大切な人を喪う悲しみを癒すには、きっと長い時間が必要なのだと思う。「この苦しみもいつか時が解決してくれる」それを信じて、辛いことがあったとしても、命を投げ出すことだけはしないでおきたい。

 

そして自分の大切な人が苦しみや悲しみを抱えているのなら、何もできないかもしれないけど、せめてその人の味方でいたい。こんな綺麗事はブログにしか書けないけど、「自分に言い聞かせる」という意味で書き残しておく。

 

我慢は美徳じゃない

今日も8時間労働をしてきた。正確には寝坊して7時間半だったけど。

 

10時ー19時という時間帯でいつも働いているのだが、17時を過ぎると急激に集中力が無くなってくる。

仕事内容は「記事の編集作業」で、けっこう頭を使うしずっと画面に向かっているので精神的な負荷が大きい。メンタルはやられないけど、意志力の消耗が激しい仕事だ。

 

ほんとに日本人はこれを毎週5日連続でやっているのかと思うと、とても信じられない。試しに「8時間労働 無理」でググってみると、こんな記事が出てきた。

quit-job-tomorrow.com

 

この方が言うところによると、「8時間」に特に合理的な根拠はないらしい。19世紀末の労働者が「8時間にしろ!」と政府にクレームを入れたからそうなっただけ。

確かに人間の集中力が8時間も持つはずがないことは、僕みたいな若造でも分かる。

 

さらに生産性トップのアイルランド人たちは1日に「6時間半」しか働いてないらしい。僕の集中力が切れるのも6時間後ぐらいなので、自分がヤワ過ぎるわけではないことが分かった。

 

8時間を基準にして「労働基準法」が定められているのだとすれば、法律や政治というものも案外いい加減なものなのかもしれない。国のルール的な方面に疎い僕は、政治や法律はすごく合理的なものだと思い込んでいた。

 

よくよく考えれば未だ非合理なルールが残っているのは当たり前のことだ。なぜなら科学的常識が塗り替えられて現状のルールが「非合理なもの」と判明したとしても、ルールを変えるためには多くの手続きが必要になるから。

 

だから「8時間も働いたら集中力もたないんじゃね?」と国のお偉いさんが気づいて、よっこらしょと重い腰をあげるのを待っていても仕方がない。「どうすれば6時間労働でも食っていけるのか」それを法律に触れない範囲で探っていく必要がある。

 

さっき紹介した記事の人もそうだけど、8時間未満の労働で食っていける手段として「インターネット」は大いに活用すべきだと思う。僕も3年ぐらいネットビジネスに関わっていたことがあり、ただの学生が月に数十万、数百万を稼ぐという例も少数だが実際にあった。

 

僕が今ネットで食うために動き出していることは2つあって、1つが「ワードプレスアフィリエイトブログ」を立ち上げることだ。

アフィリエイトで月5千円以上稼げる人は5%ぐらいしかいない」というデータがあるように簡単なことではないが、社会不適合者の自分は5%以内に入れるはず(?)という謎の自信がある。

 

もう1つが「ウェブ解析士」の資格を取得することだ。たまたまコンビニで立ち読みした雑誌でこの資格を見つけ、「これだ!」と思った。おそらくこの資格を取ることでたくさんのメリットが得られる。

アフィリエイトには確実に役立つし、Webコンサルができるようになったり、セミナーができるようになったり、ネットで生計を立てる人たちとの繋がりが作れたりする。

 

専門的なウェブ解析の力を身につけたら、それを生かしてアーティストプロデュースなんかもやってみたい。『感覚ピエロ』のように現代はネットの力を生かし、セルフプロデュースで活躍するアーティストが現れ始めている。

もし「この人に売れてほしい。応援したい」と思ったアーティストと二人三脚で高みを目指すなんてことができたら、すごくワクワクするしやりがいがあると思う。

 

こんな感じで、最近は自分の進むべき道がどんどん明確になってきている。1年前は目の前が真っ暗になったようにどん底だったけど、人生は落ちるときもあれば上がるときもあるらしい。

父が「人生は山あり谷ありやで」と言っていたのが今になって思い出される。

 

これから辛いことも苦しいこともたくさんあるだろうけど、今はただ前に進み続けたい。

このブログを10年、20年後に読み返した時に何を思うか

今日は友人とロフトで手帳をみていた。「仕事の気づきをメモに残したいから手帳探しに付き合ってほしい」とのことだった。

 

手帳を探しながら、「そういえば僕もこうして自分の気づきをブログに書いたり、1年半前から日記をつけたりしてるなー」と思っていた。

 

友人と別れた後、ふとこんな考えが浮かんだ。

「もし20年後にこのブログを読んだら、自分は何を思うのだろうか」

 

「青いな」と思うのかもしれないし、「意外と良いこと書いてるやん」と思うかもしれない。いずれにせよ、自分がおっちゃんになり下の世代を育てる立場になった時に、若者の感性や考えを理解する助けになるだろう。

 

それに、20年後の自分が読んでも「たしかにそうだ」と思えることは、きっと自分にとって普遍的に重要なことなのだと判断できる。

1年半前の日記やブログ記事を読み返す今でさえ自己発見に役立っているのだから、10年、20年と蓄積されればもっと価値のあるものになりそうだ。

 

どこかの名言集に「人生とは自己発見の旅である」と書いてあって、たしかにそうだなと共感した覚えがある。先日の記事にも書いた通り、「自分が何者であるか」を知ることは充実した人生を送るための鍵だと思うからだ。

 

だから、これからはもっとブログを書こうと思う。せっかく日々何事かを考えているのに、時が経つにつれて気づきやアイデアが消えていくのはもったいない。それに書く中でより考えが明確になることもよくある。

 

1年前ぐらいにも「もっと書きたい」みたいなことを書いてた気がするけど、今度こそ続けたい。最近は「モノ書きで食っていきたい」という気持ちがより強くなっているから続けられそうな気がする。

 

僕には死ぬまでに「自分が書いたものを出版化もしくは映像化したい」という夢がある。

自分という人間が描く世界観は、人々にどう受け取られ、どんな考えや感情を生み出すのかを知りたい。批判されて傷つくこともあると思うけど、きっと自分の世界観に共感してくれる人がいるはず。

 

僕の拙い記事にスターをつけてくださる方もそうだけど、自分の作品に共感してくれる人がいるという事実は「自分だけじゃないんだ」という安心を得られるし、生きる支えになる。

それに「あなたの作品が私の生きる支えになっています」と言ってくれる人がもしできたとしたら、それ以上の喜びはないだろう。

 

今は幸いにもWEBメディアの編集という形でインターンをさせてもらっているので、自分の書く力を高めて、ゆくゆくは素晴らしい作品を生み出せるライターになりたい。

 

話が脱線してしまったが、とにかく書き続け、考えを見える形で残すこと。これを今まで以上に徹底していこうと思う。