内省の日々

24歳。生きづらさを抱えてもがく。

人生とはジグソーパズルのようなものかもしれない

 

疲れた頭でシャワーを浴びながらごちゃごちゃ考えてたら

ふとタイトルのような考えが浮かんだので書き残しておく。

 

僕は多くの場面で「対等であること」を重視していて、「価値とは何か」とか「ギブアンドテイクは人間関係の原則なのだろうか」ということをよく考える。

ビジネスは基本的に「価値の交換」だから、フェアだし僕の価値観に合致していて好きだ。

 

それがどう転がって「人生はジグソーパズルだ」なんて結論になったかというと

自分でもまだ整理できてないので、書きながら考えていきたい。

 

まず「ギブアンドテイク」を考えたときに、シンプルな例は「ノート見せてやるから飯おごって」的な関係だ。これはわかりやすい。ノートから得られる「知識」と「食事代」を交換している。

 

では、「親が一人暮らしの息子に家賃を払う」とかはどうだろうか。一見、親は何の対価も得られていないように感じる。しかし実は「感情的な価値」を得ている。大富豪が巨額の寄付をするのと同じく、「与える」ことは自分の豊かさを実感する行為であり、「自分には生きる価値がある」という強い実感が得られる。

 

僕も「意味のある人生だった」と感じながら死にたいと考えていて、そのために少しでも多くの人に価値を与えて、それを自分の生きた証にしたい。こんな考えに至ってから、少しは「親心」というものを理解できるようになったのかもしれない。

 

このように基本的に世の中は「価値の交換」で成り立っていると考えられる。

ただ、全てが同じような交換ではなく「質の違い」があるのではないかと思う。

 

例えば「奴隷制度」なんかは、非常に質の低い交換だ。奴隷側は贖罪や生きる糧を見返りに、人身を主人に与え、主人は自由な労働力を得る。確かに交換は成り立っているが、奴隷側に著しく不利な交換ではないだろうか。

 

こんな難しい例を挙げなくとも、昔やっていたカードゲームで「鮫トレ」というのがあった。大の大人がカードの価値を分かっていない子供に不当なレートの交換を持ちかけるというものだ。子供はその時は納得していても、後々誰かに損したことを知らされショックを受けることになる。

 

以上のような「不当な関係」が質の低い交換の1つだ。

 

そしてもう1つが人間関係、仕事、職場などにおいて「合う合わない」というもの。

どちらかというとこれについて書きたかった。

 

人間は誰しもジグソーパズルのように、形の違うピースであり、それを合わない穴に無理やりねじ込めば、ギチギチに固まって抜けなくなる。はめ込まされている方は、とても窮屈で「居心地」が悪い。

 

DVを受けてる人やブラック企業で働かせられている人は、本当は素晴らしい形のピースなのに、合わないところに入れられて疲弊している。

一見「価値の交換」が成り立っているようで、その本質は歪だ。

 

だからこそ、僕は「合わないな」「居心地が悪いな」と感じたら、すぐさまその人やその場から離れるようにしたい。

合わない相手が必ずしも悪いわけではなく、たまたま「自分が」そこに合わないピースだっただけだ。探せばきっとどこかに自分がピタッとハマる場所があるはず。

 

1つ目に挙げた「不当な交換」は、パズルに例えると「穴に合うようにそれ以外の部分を粉々に削られてはめ込まされちゃう」みたいな感じだろうか。ちょっと無理やり感があるが致し方ない。

 

つまり僕が言いたいのは、生きる上で重要なのは、「まず自分がどんなピースであるのかを知り、それに合う穴を必死こいて探し続ける」ということだ。「自分を知ること」というのは、たぶんすごく難しいし、合う穴を探すのもきっと簡単じゃない。

 

だとしても、今感じている「違和感」や「居心地の悪さ」に妥協せず、もっと自分にとって良い道を僕は探し続けたい。

 

なんだか良いことを言えた気がするので、もう寝ることにする。明日は週5勤務の終着点。なんとか乗り切ろう。