大学で学ぶ意義を感じた授業
この記事に書いた「2限になったら人がいなくなる授業」を受けてきた。
かなり面白くて、4年生になってようやく大学で学ぶ意義というものがわかってきた気がする。
大学で学ぶ意義とは、「インプットの質を上げること」だと思う。
意義を語る前に目的が必要だが、僕は就活生なので「仕事での成功のために」ということで考えていきたい。
典型的に大企業で管理職になれるのは、ほとんどが大卒であるという。
それがなぜなのかを、今までは「大卒=高卒より頭が良い=優秀?」という短絡的な文脈で捉えていた。
今回は、その「優秀」というのはどういうことなのかを掘り下げる。
優秀と認められるには、「大きな成果を出すこと」が必要である。
そして大きな成果(アウトプット)を出すためには、質の高いインプットが必要だ。
大学で真剣に学べば、「質の高いインプット」ができるようになるのではないか、というのがふと思ったことであり、僕の仮説。
僕が先ほど受けた授業は「外国書購読」という名前で、海外の論文を和訳した上で解釈するというものだ。
要は、自分で海外の文献を調べ読めるようになり、専門知識を自ら取り入れられるようにするというのがこの授業の趣旨である。
題材はポーター仮説で、理解するためには経済学の知識が必要となる。
僕は経営学部生なので、ミクロ・マクロ経済学の基礎は1年生のときに学んだが、正直ほとんど知識がないようなものだ。
今日の授業では、「そもそも科学とは何か、社会科学と自然科学の違いは何か」という大前提から遡って解説してもらえたので、最終的には具体的な回帰分析のモデル(最小自乗法)まで理解することができた。
前提となる知識が頭に入っていれば、具体的なモデルの説明などをされても論理が頭の中で繋がるので、今までにない「面白さ」を感じながら講義を受けられた。
そのときに、「ああ、こういう専門的な論文とかを咀嚼しようと思ったら、大学でしっかり学ばないとダメだな」と4年生にしてようやく気づくことができたのである。
「質の高いインプット」に話を戻すと、「質が高い」とは言い換えれば、
「誰もが入手できたり、理解できる情報ではない」ものであったり、
1つの情報に当たったときに「どれぐらいのレベルで理解できているか」ということだと思う。
社会人でいえば、本格的に学問を修めていない高卒の人は、書店にあるわかりやすいタイトルの付いたビジネス書の内容などからしかインプットすることができないが、
大学でしっかりと学んだ人は、一般人が理解できない論文から情報を得たりできる。
また、同じビジネス書を読んでも、頭の中にある前提知識の多さや、論理的思考力などの違いから、大卒の方が深いレベルで理解することができるだろう。
これが、インプットの差であり、この差が積み重なって、それぞれの「アウトプットの限界」が決まるのだと思う。
もちろん、仕事の中でも学問ではどうにもならないものがある。
例えば、営業職なんかは天性のコミュニケーション能力やルックスの良さなどがあれば、大卒との差なんて目じゃなくなるだろう。
スポーツや芸術も才能の要素が大きいから、いくら理論を知ったところで天才には勝てない。
先ほど教授に教わったが、そもそも科学というのは「誰でも再現できる理論」を導き出すものであるから、
社会科学を学んで得られるスキルというのは誰が学んでも武器になるから「打てば響く」ものであると言える。
ただし、もっと影響力の強い先天的な要素(才能)を持つものには太刀打ちできないということだろう。
うまくまとまっていない気がするが、大学で学ぶことで得られるのは
・幅広い分野の知識のシャワー
・専門的な文献の読み方
・レポートなどを通して得られる論理的に書く力
・講義や文献を咀嚼することを通して得られる論理的思考力
などであり、
こういったものが「インプットの質を上げる器」になるのだろう。
そう考えれば、「どの分野を専攻するか」ということよりも、どんな分野でも「どれぐらい真剣に4年間学んだか」ということの方が、社会に出てから活躍する上で重要なのではないかと思う。
とにかく、今日からいっそう真面目に勉強します。