「コミュニケーション」というゲーム

 

今日は友人と『何者』の映画を観に行った。

 

映像化されたものをみると、

やはり小説よりは具体性がないので

ダイジェストを観ているようだった。

 

ただやはり、5人の人間模様の底に流れる嫌な感じは

映像化されることでより感じられた。

 

 

作品の中で主人公の拓人が

『就活はダウトのようなもので、

 自分のカードをいかによく見せるかで

 成否が決まる』

と言っていた。

 

これは人とのコミュニケーションにおいても

言えることだと思った。

 

 

1対1で話す場面を想像すると、

お互いのプレイヤーは

様々な知識や経験(話す内容)を持っている。

 

その中で、相手に対してどのカード(知識、経験)を

提示するのかを決める。

 

カードの選び方、出し方(話し方)は

相手をどうしたいのか、その目的によって変わる。

 

説得したいのか、共感を得たいのか、攻撃したいのか。

 

もちろん相手も同じようにカードを繰り出す。

 

そのカードの出し合いによって、

「会話」が生まれる。

 

 

こう考えると、会話とはゲームであり

必ずしも会話内容だけでその人の「人間性」が

判断できるとは限らないことが分かる。

 

なぜなら、相手が話したことは

その人のほんの一部でしかないから。

 

また、好きな子を口説くときと友人と話すときは

内容も話し方も、まるで別人のようになるだろう。

 

嫌いな相手と好きな相手にしてもそうだ。

 

 

会話することで、「こいつはこんなやつだ」と

ついわかった気になるが、

その人がそれまでに積み重ねてきた経験や知識の一部しか

アウトプットされていないのだから簡単には判断できない。

 

その会話の目的や話し相手との相性や立場の違いにおいても

人間は柔軟にコミュニケーションの仕方を変えることができる。

 

 

就活の面接で「1分間で自己紹介してください」だとか

「あなたの強みを教えてください」だとかは

その人のほんの一部を垣間見ることでしかない。

 

『何者』のラストシーンで拓人は

「1分間で自己紹介してください」と面接で問われる。

 

5分ほど話した後、

「すみません、1分間では語りきれません」

と言ったのも至極まっとうなように思える。

 

 

こんなことを考え始めると

では自分が今、「好きだな」と思っている人物は

たまたま自分にとって都合の良い面を見せているだけなんじゃないか

とか考えてしまう。

 

 

とりあえずそれは置いておいて、

人間関係をうまく構築するには

「会話というゲーム」をうまくプレイすればいい。

 

まずは相手をどうしたいのかという目的を設定する。

 

その目的を達成するために必要なカードを

自分の知識・経験から引っ張り出し、

相手に合わせて加工する。

 

相手に合わせるとは、

相手の目的・知識レベル・背景(経験)・自分との関係性

などを把握することだ。

 

 

もちろんこんな理論があったところで

会話を完璧にコントロールできるかといえば

それは無理だ。

 

ただ、自分の知識や経験を増やすことで

自分のカードを増やすことができ

より多くの場面に対応することができるのではないか。

 

 

そう考えると、

読書や映画鑑賞や勉学などが役に立つ側面の一つは

「コミュニケーションの幅を広げる」

ことであると言える。

 

(チープな結論ではあるが・・・)

 

 

僕は前々から「目的のない会話」(いわゆる雑談)

が苦手だと思っていたが

単に目的の設定の仕方がうまくなかったということだろうか。

 

相手に好意を持ってもらうため、とか

悩みを解決する情報を得るだとか

いくらでも会話の目的は設定できる。

 

そして、目的を設定すれば、

その方向に会話を誘導することもできる。

 

 

ただ、難しいのは相手の目的を把握することだ。

 

僕は人と話していて、

なんで僕と話してくれるのか気になるし

相手にとって有益な時間になっているのか心配になる。

 

時間は貴重なものだから、

相手が他にやりたいことがあるのにも関わらず

自分との会話に縛り付けるのは気がひける。

 

もしかしたら相手はそんなにクソ真面目に

会話の目的とか考えていないのかもしれないけど

どうしても気になってしまう。

 

 

話が二転三転してしまったので

そろそろ終わりにする。

 

会話というのは奥が深いものだなと書いていて思った。