仕事を辞めた
8月末で2年半働いた広告会社を辞めることにした。
主な理由はWebエンジニアを目指すためだ。
最近YouTubeなどでエンジニア職がもてはやされていて、周囲は典型的でミーハーな選択をしたものだと思ったことだろう。
12月まではスクールに通って、ポートフォリオ作品を用意した上で転職活動に臨む予定だ。
せっかく時間もあるので、この機会に、自分は何のために働くのかということを考えたいと思う。
まずエンジニアを目指したい理由は大きく2つあって、1つは将来的な起業のため、もう1つは仕事を主体的に選ぶためだ。
起業する上で、試作品となるプロダクトを自分で作れた方が何かと便利だし、エンジニアを雇う上での判断基準を養うこともできる。
また、仮に事業が失敗したとして、エンジニアの実務経験があればフリーで仕事をもらえる可能性がある。ライターなどと比較して単価も高い。
ただ、起業するだけなら営業スキルやマーケスキルだけでもできないことはないし、必ずしもエンジニア職を経由する必要はない。
退職するまでの決意をしたのは、2つ目の理由によるところが大きい。
広告会社で仕事をしていて、入社時からずっと疑問に感じていたことがある。
それは宣伝するプロダクトを選ぶ権利がほとんどないことだ。
「これは本当にユーザー(最終消費者)を幸せにする商品なのか?」と疑問に感じてしまう商品や売り方が散見されて、納得感をもって仕事をすることができなかった。
例えば、ダイエットサプリ。科学的な効果なんてほとんどなくて、多くはプラセボによるものだろうに、報酬額が高くユーザーニーズも高いために、多くの事業会社、代理店がプロモーションを行っている。
自分が過去にインターンをしていた広告会社では、ネットからとってきた画像を加工して、「こんなに痩せました!」と嘘の内容を綴ったLPを使用して莫大な利益を上げていた。
その他の会社でも、「初回500円!」と大きく記載しておき、小さな注意書きで「※4回の定期購入縛りがあり、合計額は20000円です」などといった景表法でいう有利誤認の宣伝も多々あった。
こうした自社の利益しか考えていない会社の商品でも、たくさん売れてしまうから、代理店も積極的に扱って「顧客の成長に貢献しました!自社も成長しました!」と喜んでいる始末。
長々と書いたが、エンジニアになって、真にユーザーのことを考えているプロダクトの開発メンバーになれば、こうした疑問を感じずに済むと思った。
現状、Webエンジニアは供給不足のため、一定の経験と実力があれば、他の職種よりも、関わるプロジェクトを主体的に選べると思われるからだ。
そして3年ほど経験を積み、自身でも設計・開発ができるレベルになれば独立して、自分の哲学を反映したプロダクトを作りたい。
今も含めて20代は正直なところ、理想に対して自分のスキルも経験も全く追いついていなくて、もどかしく苦しい瞬間が多かった。
だから30歳になるまでの残り3年を修行期間と捉えて、30代で自由に泳ぎ回れるようになっていたい。
もし自分がエンジニアとして就職できたときや独立したときにこの記事を見返して、勘違いしていたこと、正しかったことを振り返ることができるように書き残しておく。
温かい気持ち
久々にブログを書くことにした。
昨日の夜に『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の映画チケットを購入したことをすっかり忘れていて、慌てて電車に乗って映画館に向かった。
扉を開けるとちょうど予告編が終わって画面が暗転したところで、なんとか間に合った。
ベタな展開もあるが、素晴らしい音楽、作画、演技が合わさると自然と涙があふれてくる。
7月から仕事でWebメディアの収益化を担当することになり、ひたすら数字を追い論理的な思考一辺倒になっていたから、こんなにも温かな気持ちになったのは久々だ。
雨の中、遅刻確定の映画館に行くべきか正直迷った。どうせ感傷的な気持ちにさせられ、生産的な思考から遠ざかってしまうであろうことが予想できたから。
だけど映画を観終わったいま、生産的な思考とやらは、根っこに愛情がなければ、全くの無意味なものであるということに気づけてよかった。
偶然にも映画の直前にMBTIの性格診断テストを受け、「INTP」という「論理的思考には優れているけど情緒面に欠陥がある」という結果が出ていた。売上至上主義に飲まれ、愛の大切さを忘れてしまっていた証拠だ。
たしかにマーケティングやエンジニアリングのスキルを高めれば、経済的に価値のある存在となり、たくさんのお金を稼げるようになるだろう。
でも、最期の瞬間に、誰も愛してくれる人がいない、愛する人がいなかったら…そんな人生はとても虚しいと思う。
僕はやはり経済合理性をひたすら追い続けられる人間ではないらしい。すべての努力は誰かを愛したい、誰かに愛されたいという渇望が源泉になっている。
本来の自分を思い出すことができただけでも、この作品を観に行ってよかったと思う。
スキルを磨くだけではなく、愛を表現し与えられるような仕事ができるように、それを目指して精進していきたい。
誠実に生きるということ
最近話題の「Nizi Project」というアイドルオーディション番組に夢中になっている。
勤務先は週1出社なのだが、その時に部署の人たちが話題にしていて
「そんなにいいのかな?」と疑問に感じていたがあまりに興奮して語るので気になって観てみた。
その結果、1日に5時間ぐらいぶっ通しで観るぐらいハマってしまった。
僕は歌うことが好きだったんだと、キラキラと輝く瞳で歌う少女たちを観て思い出すことができた。
自分はどんな人生を生きたいのか、どんな人のことを素晴らしいとおもうのか
ということも再発見できた。
特に、オーディションメンバーの中の一人の「マコ」さんは、本当に尊敬に値する人物だと思う。
裏側の地道な努力は視聴者には一部しか知ることができないが、プロデューサーのパク・ジニョンさんも言うように、「誠実に生きている人」なのだということが伝わってくる。
3年間、毎日To DOリストを書いて振り返り、家族と離れて韓国で厳しいレッスンをやり続けること。決して誰もができることではない。
そしてその努力から生まれたパフォーマンス(歌とダンス)は、素人目にも格が違うと思わせるぐらいに圧倒的だ。
東京合宿のダンス審査で演じられた2PMの『I'll be back』は、何度も再生して観てしまった。
マコさんに限らず、みんなすさまじい努力をするからこそ嬉しくても悔しくても自然と涙があふれてくる。自分に負けずに、嘘をつかずにやってきたからこそ自信が生まれ、結果に対しても真正面から向き合うことができる。
逃げずに地道な努力を続けることは、僕の人生を通しての乗り越えなければならない課題であり、全力でやれない自分を何度も恥じてきた。
現職の入社1年目に、課題をこなしてスタンプカードを集める研修があったのだが、自分はそこで不正をしてしまったことを思い出した。
Google広告の認定テストで、ネットにある答えをみながら解いたにもかかわらず、合格のスタンプを押してしまった。
上位5人に入れば、社長との会食に参加できるからだ。
結果的に自分は同期40人の中で2番目に多いスタンプを集めた。
不正した分のスタンプを引いても上位5人に入ることはできていたが、少なくとも2位になる資格はなかった。
不正をしてしまった自分が恥ずかしいし、不正した事実を忘れていたことが何よりも恥ずかしい。
僕が尊敬するUVERworldというバンドのボーカルのTAKUYA∞さんは、10年間、酒もタバコもカフェインもグルテンも禁じ、毎日10kmのランニングを続けている。
ライブで最高のパフォーマンスを発揮するためだ。
自分が達成したい目標のために毎日本気でやり抜き、やり続けられる人は本当に美しい存在だと思う。
僕もそんな人になりたい。もちろん結果は出したいけど、その結果は100%嘘偽りがないと誇れるようなものでありたい。
まだまだできていない。逃げている自分がいる。
でも、だからといってどんなに嫌なことでも全力でやり続けるというのは現実的ではないと思う。
TAKUYA∞さんもマコさんも、心の底からやりたい、楽しいと思えることだからこそ、辛い努力にも耐えることができるはずだ。
まずは、「何を目指して何に取り組むのか」という問いから逃げないことだ。
安定した生活のために嫌なことにしがみつくのは違うと思う。
人生はどの瞬間からでも、自分の意思で自分の選択によって変えていくことができる。
最後に、本気で努力する人たちに心からの感謝を送ります。
いつも勇気を与えてくれてありがとう。