メディアの見方:「正しいこと」など何もない世の中で

読書術に関する本を読んだときにふと思ったこと。

 

「読書によって批判的思考を養える」

 

と書いてあった。

 

 

僕はかなりの多読家だと自負しているが

批判的思考は本当に養えているのだろうか。

 

例えばテレビを見たり、人の話を聞いているときに

すんなりと意見を受け入れてしまうことが多々ある。

 

 

僕よりも本を読んだり、

日頃からひねくれた考え方をしていない人は

この傾向がさらに顕著になるだろう。

 

ここから

「日本人は国民性として

批判的思考があまり養われないのではないか」

という仮説を立ててみた。

 

 

よく言われるのが

「日本人は受動的である」

ということ。

 

この受動性が、批判的思考を阻害しているのではないだろうか。

 

 

日本人が受動的になるのは、

教育方針によるところが大きいと考えられる。

 

「考えること」より「覚えること」が重視されるために

テストで良い点を取るには

先生の言うことをいちいち疑っていては効率が悪い。

 

当然、良い成績をとりたい生徒たちは

先生の意見をすんなりと受け入れる。

赤文字やマーカーを引いて。

 

 

小さい頃から「考えること」を求められてこなかった日本人は

普段の家庭生活でも「そのまま受け入れる」ことが習慣化される。

 

テレビ番組を見て、

「へえ〜、そうなんだ。知らなかったな〜」

疑うこともせず受け入れる

 

それが積もり積もって、

批判的思考が失われていくのだろう。

 

 

だからこそ、受動的な態度が染み付いた我々は

もっと批判的に物事を考えてもいいのではないか。

 

「ニュース番組を見て、絶対に3つは批判ポイント、

疑問点を見つけるようにする」

 

など批判的思考を養う訓練を日常から取り入れていきたい。

 

 

もちろん批判してばかりではいけない。

 

世の中に対する信用を失って、

不信感に満たされた世界になってしまう。

 

 

クールに考えて、大胆に行動する

 

これが重要なように思う。

 

 

「ポケモンGOをやるのは愚民だ」論争

最近何かと話題な「ポケモンGO」について。

 

 

僕は最初のヒトカゲだけ捕まえて辞めた。

 

 

いや、もっと面白いことあるだろ。

 

(きっと友達がたくさんいてウェーイな人たちが

肴にして楽しんでいるのだろう。。)

 

 

すでに1000万ダウンロードを超えたとのことだが

日本国民の約10分の1がやっているのだというから驚きだ。

 

(僕のようなダウンロードしただけの人も多いと思うが)

 

感想を言うならば

「安直だな」と言いたい。

 

「周りがやっているからとりあえずやっておこう」

という社会の圧力に負けて

やらされている気がしてならない。

 

 

ポケモンGO 安直」でググってみたところ

 

「ポケモンGO」で愚民が加速し、選挙自体を知らなくなる云々という意見 - Togetterまとめ

 

これが出てきた。

 

 

批判する人も擁護する人も

結局はポジショントークだな」と思った。

 

自分を正当化するために

擁護するための論理

批判するための論理

を持ち出しているに過ぎない。

 

 

与党がポケモンGOを擁護するのは

シルバー民主主義と同じことだろう。

 

つまり「大多数のご機嫌を損ねない」ために

ポケモンGOを批判しないだけだということ。

 

 

結論、

ポケモンGOを好きな人だけやればいいと思うけど

僕はやらない。

 

ただそれだけのことですね。

 

 

でも、みんなが易きに流れるのはなんとなく嫌だったから

このような記事を書いてみた。

 

 

例えば話題作りのためにポケモンGOをやるとして、

会う人会う人ポケモンGOの話ばかりをするのは

つまらなくないか。

 

そんなことをするぐらいなら、

あえて「ポケモンGO」やらない派になって

ポケモンGOの是非や流行る意味について語りたいけどね。

 

 

まあそんなことをしたら

「カタブツのつまらない奴」

という判を押されてしまうのだろう。

 

みんなそれが怖いのかな。

 

 

僕はそんなことで「カタブツ」なんて

レッテルを貼ってくる人と

深い仲になりたいと思わないし

 

あえて流れに逆行する異端児に魅かれる。

 

 

以上、「ヒトカゲを捕まえただけ」の

にわかの意見でした。

 

「エッセンシャル思考」の実践

 

一時期話題になった「エッセンシャル思考」という本が

本棚の整理中に出てきた。

 

 

 

内容を要約すると

選択と集中」を行って、人生の充実感を取り戻そう

というもの。

 

「大切なことは何か」が今の主題である僕にとっては

良いタイミングで掘り出せたのかもしれない。

 

 

まずこの本を読み始めて思い至ったのが、

「なぜ僕は大学に通っているのか」

ということ。

 

試験期間中で、

無意味としか思えないテスト勉強をしていたからだろう。

 

僕はK大学に通っていて、

偏差値的にはそこそこのところだ。

 

K大学を卒業することで手にはいるものは何だろうか。

 

・「K大学卒」という肩書き

→ある程度の社会的信用にはなるだろう

 

・大学卒業が要件の資格がある

→興味を持ち始めた「臨床心理士」は

 学部卒が必要なようだ。

 

・大企業に就職できる

 それに伴う給料や人脈

 もしかしたら恋愛での有利

→退学するとしたら

 フリーター

 ベンチャーから這い上がる

 起業する

 ・・・などか

 

主にはこんなものだろうか。

 

(講義で得た知識もある程度は身につくだろうが

その知識は社会に出て実践を積みながらの方が

より血肉となるのではないか)

 

 

逆に失うものは何か。

 

・感受性豊かな20代前半の時間を

 情熱を注げないことに使うこと

 

・学費(卒業までに約70万は必要)

 

・思考停止病に陥る恐れ。

 本当にやりたいことが見えなくなる。

 

意外とトレードオフなものは少ないかもしれない。

 

学費以外は比較的自由な時間のある

大学生活と並行しながらでもできることだろう。

 

スティーブジョブズの「カリグラフィー」ではないが

一見無意味に思えた点がつながって

線になる可能性もある。

 

 

結局、大学は切り捨てなくてもいいのだ

という結論になった。

 

「何のためにやるのか」

「やらなかったらどうなるのか」

 

ここを明確にするのとしないのとでは

モチベーションや生産性に大きな違いが出る。

 

めんどくさくてもやっていきたい。

 

 

そういえば最近「バイト」を切り捨てた。

 

6月は雀荘で月に120時間近くバイトして

授業に出れず単位を5つほど失った。

 

僕のような怠け者には、バイトをしながら

真面目に大学に通うことは想像以上にハードだった。

 

 

ただ、生活するには10万近く必要だから

生活費をどうしようかという問題があった。

 

そこで僕は、祖父に頭を下げることにした。

 

「月に10万円、僕に投資してください」と。

 

他人からみれば

「なんて甘い考えなんだろう」

と思われても仕方がない。

 

でも、見栄にこだわって

大切な時間を失う羽目になるのは嫌だった。

 

それに、大学を卒業できなかったら

それまで親が僕に投資してきたお金が

無駄になってしまう。

 

僕は恵まれている

 

そこだけは自覚して

いただいたお金と時間を無駄にしないようにする。

 

おかげさまで今は考える余裕がたっぷりあって

とても有意義な時間を過ごせている。

 

 

エッセンシャル思考はまだ半分ほどしか読めていないが

少しずつ、「より少なく、より良く」を

生活の中に取り入れていこうと思う。