5月病を撃退するには

 

5月に入ってからどうにも体がだるくて

勉強に身が入らない。

 

そういえば「5月病」という症状があることを思い出した。

 

新学期から妙に宿題が多くてなんとか踏ん張っていたが

ここにきてその反動がきたのだろうか。

 

 

アニメやドラマをみてお菓子を食べて・・・

という自堕落な生活から抜け出さなければと思い

今日は2週間ぶりにジムに行ってみた。

 

1時間半ほど運動したら、

なんだかパワーがみなぎってきた感じ。

 

身体にも精神にもプラスの効果がある筋トレは

まさに百薬の長といえる。

 

 

もし常に高いエネルギーを保ちながら生きることができるなら

たいていのことは成し遂げられると思う。

 

どれだけ才能があっても、修練を積まなければ一流にはなれない。

 

逆にいえば修練を積めば一流になれる可能性がある。

 

ただ、その「修練を積み続ける」のが難しいから

ほとんどの人は一流になれない。

 

「わかっちゃいるけど動けない」

状態は多くの人が経験しているのではないだろうか。

 

 

僕はもう体も心もだらけきった状態にはなりたくないから

今度こそ定期的に筋トレをしようと思う。

 

そりゃあ筋トレをしてる最中は辛いけど

やり遂げた後の爽快感がものすごいし

活力がみなぎってくるのだから

どう考えてもやった方がお得だ。

 

 

思考が変われば行動が変わる。・・・

の名言ではないが

 

身体が変われば行動が変わり、

行動が変われば習慣が変わり

習慣が変われば生活が変わる

 

という感じで、

乱れた生活も整ってくるのではないだろうか。

 

 

ジム通いは億劫だけど

これだけはなんとしても習慣化したい。

なぜオタクの話はつまらないのか

 

今日のお昼に受けた講義で気づいたこと。

 

交通経済についての講義なのだが

どうにも教授の話が頭に入ってこない。

 

それがなぜなのか5回目の講義でやっとわかった。

 

「無駄に細かすぎる」のだ。

 

 

教授は中学生の頃から鉄道好きで、

大学入学から今に至るまでずっと交通分野を専攻している。

 

要は「交通オタク」である。

 

おそらく交通に関してはものすごい知識量なのだろうが

それ故に1つのワードから別の概念にどんどん派生していき

「結局なにが言いたいんだっけ?」状態になってしまう。

 

 

僕もオタク気質なので自戒を込めて書いているが

しっかり伝えようと思って、かゆいところまで話すと

返って何も伝わらなくなってしまうのだ。

 

要点がわからず、聞き手は「で、なんなの?」という状態で

どんどん新情報を詰め込まれてしまうので

聞いていて疲れるし、何も頭に入らない。

 

 

「しっかり伝えよう」と思って細かくなるのはまだマシだけど

もっとタチが悪いのが、相手の興味なんておかまいなしに

思いついたことを次から次へと話す人だ。

 

オタクがモテない典型的なパターンがこれだろう。

 

 

僕もつい最近までは、女の子と話すときに

無駄に細かく話しすぎていた。

 

それで女の子は疲れてきて、あくびをしだす。

 

家庭教師で生徒に教えてるときもそうで、

正確に伝えようとかなり詳細に話してるのに

全くこちらの意図が伝わっていない。

 

 

うまくいくコミュニケーションは、

 

「相手の話をしっかり聞いて、共感して

一言二言コメントする」

 

こんな感じがベストなんじゃないだろうか。

 

 

今日も食堂でたまたま隣にいたおばあちゃんに話しかけて

ひたすら笑顔で「うんうん」と聞いていたら

向こうもこっちの話を聞いてくれるし

「イケメンだね」とか褒めてくれる。

 

とにかくシンプルかつ易しい言葉を使う。

 

これが分かってからは

人と話すのがかなり楽しくなった。

 

 

彼女ができてからというもの

何をするにも自然と自信がわいてくるし

どんどん外向的になっていくのがわかる。

 

なんだか人生が楽しくなってきた。

 

彼女ができた

 

2年ぶりに彼女ができた。

 

とても純粋で一緒にいて楽しい子だ。

 

 

やはり彼女がいると精神的に安定する気がする。

 

僕の中にあった欠乏感が埋まって

恋愛以外でも「これからもっと楽しいことがありそうだ」

とワクワクしている。

 

とはいえまだ付き合ってから1週間も経っていないのだから

これから徐々に関係を築いていかないといけない。

 

 

僕はまだ「深い愛情」というものを他者に抱いたことがない。

 

誰かを愛するようになれば

僕の人生はもっと深みを増すだろう。

 

「自分」という存在が自分だけのものではなくなって

相手にとってもかけがえのないものになる。

 

それはとても素晴らしいことだと思うし、

もっと色んなことを学んで

その子にプラスを与えられるような存在になりたい。

 

 

ただ、僕の中にあるのはキレイな感情ばかりではない。

 

こんなことは決して本人には言えないけど

彼女のことが「性的にどストライクか」というと

そうではないような気がする。

 

「超可愛い」ではなく「普通に可愛い」という感じ。

 

相性や中身を全く考慮しないならば

大学や街中にいる女の子の方が魅力的だと感じることがある。

 

 

ブログでは良い子ちゃんぶったことばかり書いてるけど

僕は昔から性欲が強くて

高校生のころは会話の8割がエロ話だったし

大学生になってからは風俗にハマってしまったときもあった。

 

風俗ですごくタイプの子が出てきたら

やっぱりものすごく興奮する。

 

ただし、そこには「愛」はない。

 

お金と身体の交換という「ビジネス」である。

 

 

こんなにセックスのことばかりを考えてしまう自分は

低俗であることに間違いはないと思うが

自分の思っていることは正直に書いておきたい。

 

 

「関係性」を無視するなら、

自分がより「可愛い」と思う異性を抱いた方が

気持ちいいセックスになるだろう。

 

風俗やワンナイトラブやセフレなどは

このような論理になる。

 

 

しかし

「付き合っている彼女とのセックス」

は毛色が違うはずだ。

 

お互いの愛情が親和することで

おそらく僕が想像できないぐらいの

気持ち良さになるのではないだろうか。

 

 

「愛し合っている同士のセックスは

 どれぐらい気持ちいいのか」

 

ということをそういえば友人に聞いたことがなかった。

 

「俺たちモテないよな〜」

と傷の舐め合いばかりしていたからだ。

 

 

ともかく、愛すべき存在ができたことで

これからの自分は大きく変わっていくだろう。

 

さっき書いたような自分のゲスな部分も直視しながら

健全な関係を築いていけたらなと思う。