秋の振り返り

3ヶ月ぶりに自分の記事を読み返したら、当時の悩みや考えや出来事が分かって面白い。

 

最近は作詞・作曲に挑戦してみたい意欲があって、ブログに書いてる内容を歌詞にしてみるのもいいかもしれない。

 

というわけで9〜11月の3ヶ月間の出来事と気づいたことなんかを思いつくままに書いておこうと思う。

 

9月は自動車教習に行き始めた。技能教習が始まってからは、内向性に足を引っ張られて萎えることが多かった。例えば少しでも「なにやってんだ」とか厳しい口調で言われると、「僕だったら初対面の人に絶対こんな風に言わないわ」という怒りと自分の不甲斐なさに苛まれた。

 

それと助手席に乗ってる時は気づかなかったけど、気を抜いたら普通に事故を起こすということ。左折する時もサイドミラーみて後方確認して・・・みたいな手順を踏まないといけないとか、やってみると結構大変だ。

テラスハウスでドライブデートしてるシーンを観て「いいなあ」なんてほざいてる自分に喝を入れてやりたい。

 

10月は残りの単位を取るために大学に週4で通った。やはり新しいことを学ぶと次第に脳が冴えてきて生活全体も引き締まるようになる。

それとジムに通い出した。2ヶ月で2.5kgぐらい増量でき、精神面も前向きに変わった。

 

部屋にこもりきりだった8月〜9月とは打って変わって外向的になったおかげか、不思議と人からの誘いが増えた。引き寄せとかいうスピリチュアル用語は分からないが、それに近い現象だと思う。

 

11月中旬には東京で内定式があった。大学1年生の時とは違ってこじらせてるから、数十人の学生と交流できるか不安だったが、結構いいやつが多くて楽しめた。

 

懇親会で、最終面接の担当だった役員から「君はドラフトNo. 1だよ」と言われて嬉しかった。あまり人と競い合うのは好きじゃないはずなのに、こんな言葉に喜んでしまうのは、大学生活の努力が認められたことに対するものだと思いたい。

 

11月末は大学の期末テストがあった。それなりに辛かったけどやりがいもあって、乗り切れた。せっかくついた勉強の習慣を終わらせないように継続させていきたい。

 

あとは自己投資として、中小企業診断士の通信講座と、とあるビジネス講座の受講を始めた。人付き合いにそんなに時間とコストをかけない分、自分をレベルアップさせて仕事で活躍できるようにしたいから。

 

こんな感じで親に借りたり何なりして、結構な金額を投じて新しいことをスタートさせたのがこの3ヶ月間だ。

親には本当に色々な面でサポートしてもらったので、働いてから自分の価値を高めてお給料もたくさんもらえるようになって、旅行とかをプレゼントできるようになりたい。

 

自分がたくさんお金をかけてもらった分、自分が子供を育てることになったら同じようにたくさん投資をしてやりたい。そしてまた自分の子供が稼げるようになって、孫にたくさん投資をする・・・というような循環が生まれるのが理想だ。

こんなのは自分が親に甘えるための言い訳に過ぎないのかもしれないけど、少なくとも働き始めてからは自力で生きていくと決めている。

 

やり始めたことを今後も継続させて、前向きに、どんどんステップアップしていこうと思う。

逃げ癖

僕はいつから夏を楽しめなくなってしまったんだろうか。

去年と同じく部屋の中で怠惰な日々を貪っている。

 

就職活動を終えて卒業するための単位を取る、という最低限の目標さえクリアできればこの半年は及第点と言えるのかもしれない。

しかし時間を無駄にしてしまっている罪悪感が常につきまとっている。

 

自分に何か生産的なものを生み出す能力があれば、こんな怠惰な生活にはならなかったはず。

例えば幼少期から音楽に触れていて、好きな曲を自由に弾くことができたり
時には作曲なんてことができればクリエティブな毎日になったことだろう。

 

ただ、芸術活動のような特別なものでなくとも、例えば新しくバイトを始めてみるのも一つの手だっただろう。

一応3社ぐらい面接を受けて2社には合格をもらえたが、スタート直前で何だか希望を失ってしまい自ら辞退してしまった。

なんだかんだこの何も強制されずに過ごせるニート生活にしがみつきたかったのだろう。

 

他には、幼少期からの友人から一緒に何かビジネスをやらないかと誘われた。別に怪しい勧誘とかではなく、2人でゼロから何かやろうという提案だ。

これもきっと全力で取り組めば形にできないことはないだろう。しかしバイトを辞退してしまうような自分に果たしてそんな気概があるのか。

 

7月中旬に就活を終え、それからの1ヶ月半でたくさんのチャンス、分岐点があったように思う。しかし僕はそれらをことごとく自らの意思で手放してしまった。

未来のことなんて何も分からないのに、なんとなく想像できてしまう結末が嫌になって逃げ出したくなる。最近はその繰り返しだ。

 

mbtiという心理テストで僕はINFPという結果が出たが、一言で表すなら「理想主義者」らしい。これだけだと聞こえが良いが、要は「脳内お花畑の現実逃避者」だ。

高すぎる理想を自らに課しているせいで、いつまでも現実が追いつかずに満足できないでいる。

本当に理想を実現したいのならば、日々、着実にやるべきことをやって一歩一歩進んでいくしかない。その泥臭さから逃げていては何も変わらない。

 

これまでは自ら変わるチャンスを手放してしまっていたが、次こそは飛び込んでみようと思う。部屋の中に閉じこもってフィクションばかり眺めていても、その先には虚無しかない。改めて自分の人生を生きるのだ。

死ぬ瞬間のことを考えてみた

明日、東京に最終面接を受けに行く。

 

6月末から自己紹介用のプレゼン資料を準備していて、完璧主義的な僕は

「どのレベルまで作り込めばいいんだ。もう逃げたい」と苦悶しながらもなんとか完成させることができた。

 

「自分とはどんな人間か」を伝えようと思った時に考えたことは
人生で何を大切にしたいのか、誰のため何のために生きるのかということだ。

 

このブログでも何度か書いたと思うが、やはりたどり着いた答えは

誰かを愛したい、幸せにしたいということだった。

 

人生には「死」という終わりが必ずあって、その瞬間に何を思いたいか。

そう考えた時に、僕は人生で最も愛した人の顔を思い浮かべながら逝きたいと思った。

 

でもまだ家族以外で「真に愛した」と言える人が僕にはいない。真実の愛を見つける日がいつになるかは分からないし、一生をかけても手に入らないかもしれない。それはとても奇跡に近いことだろうから。

 

それならば、明日死んでしまうかもしれないこの命を、少しでも誰かを幸せにするために使いたいと思う。まさに天に召されようとする時に、走馬灯のように自分と関わってくれた人の笑顔が浮かんだらいいな。

 

少し前までは「どうせ死んで何もかも消えてしまうのだから、何をしたって意味がない」と考えていたのに、こう思えるようになったのはどうしてだろう。

 

意味がないとは言え、どうしても死ぬことは怖いと思ってしまう。それは前も今も同じだ。ただ、「死」が単なる終わりではなく、生涯の完成であり、次の世代へのバトンパスになるのだと考えればそれほど怖くないのかもしれないなと思った。

 

逆に最も恐ろしいのは、誰かをひどく傷つけ悲しませてしまったという罪の意識に苛まれながら逝くことだ。自分は生きているだけで誰かに迷惑をかけてしまう、自分が死ぬことが最後に残された贖罪だと思いながら死ぬのも、ある意味では納得感があるのかもしれないけど、なんだかその終わり方は悲しい。

 

あの世があるのかは分からない。あると信じたいのは、魂という名の自意識が存続することへの憧れからくるものだろう。果たしてその永遠に意味はあるのだろうか。

 

なんだかかっこつけた感じになってしまったが、深く考えすぎずに、愛と感謝と貢献を大切にしながら生きていきたい。例のごとくめっちゃ沈むこともあるけど、何日か経てば自然と自分の中に希望が芽生えてくることももう分かったから、とにかく生き抜くことを心に誓う。