なぜオタクの話はつまらないのか

 

今日のお昼に受けた講義で気づいたこと。

 

交通経済についての講義なのだが

どうにも教授の話が頭に入ってこない。

 

それがなぜなのか5回目の講義でやっとわかった。

 

「無駄に細かすぎる」のだ。

 

 

教授は中学生の頃から鉄道好きで、

大学入学から今に至るまでずっと交通分野を専攻している。

 

要は「交通オタク」である。

 

おそらく交通に関してはものすごい知識量なのだろうが

それ故に1つのワードから別の概念にどんどん派生していき

「結局なにが言いたいんだっけ?」状態になってしまう。

 

 

僕もオタク気質なので自戒を込めて書いているが

しっかり伝えようと思って、かゆいところまで話すと

返って何も伝わらなくなってしまうのだ。

 

要点がわからず、聞き手は「で、なんなの?」という状態で

どんどん新情報を詰め込まれてしまうので

聞いていて疲れるし、何も頭に入らない。

 

 

「しっかり伝えよう」と思って細かくなるのはまだマシだけど

もっとタチが悪いのが、相手の興味なんておかまいなしに

思いついたことを次から次へと話す人だ。

 

オタクがモテない典型的なパターンがこれだろう。

 

 

僕もつい最近までは、女の子と話すときに

無駄に細かく話しすぎていた。

 

それで女の子は疲れてきて、あくびをしだす。

 

家庭教師で生徒に教えてるときもそうで、

正確に伝えようとかなり詳細に話してるのに

全くこちらの意図が伝わっていない。

 

 

うまくいくコミュニケーションは、

 

「相手の話をしっかり聞いて、共感して

一言二言コメントする」

 

こんな感じがベストなんじゃないだろうか。

 

 

今日も食堂でたまたま隣にいたおばあちゃんに話しかけて

ひたすら笑顔で「うんうん」と聞いていたら

向こうもこっちの話を聞いてくれるし

「イケメンだね」とか褒めてくれる。

 

とにかくシンプルかつ易しい言葉を使う。

 

これが分かってからは

人と話すのがかなり楽しくなった。

 

 

彼女ができてからというもの

何をするにも自然と自信がわいてくるし

どんどん外向的になっていくのがわかる。

 

なんだか人生が楽しくなってきた。

 

彼女ができた

 

2年ぶりに彼女ができた。

 

とても純粋で一緒にいて楽しい子だ。

 

 

やはり彼女がいると精神的に安定する気がする。

 

僕の中にあった欠乏感が埋まって

恋愛以外でも「これからもっと楽しいことがありそうだ」

とワクワクしている。

 

とはいえまだ付き合ってから1週間も経っていないのだから

これから徐々に関係を築いていかないといけない。

 

 

僕はまだ「深い愛情」というものを他者に抱いたことがない。

 

誰かを愛するようになれば

僕の人生はもっと深みを増すだろう。

 

「自分」という存在が自分だけのものではなくなって

相手にとってもかけがえのないものになる。

 

それはとても素晴らしいことだと思うし、

もっと色んなことを学んで

その子にプラスを与えられるような存在になりたい。

 

 

ただ、僕の中にあるのはキレイな感情ばかりではない。

 

こんなことは決して本人には言えないけど

彼女のことが「性的にどストライクか」というと

そうではないような気がする。

 

「超可愛い」ではなく「普通に可愛い」という感じ。

 

相性や中身を全く考慮しないならば

大学や街中にいる女の子の方が魅力的だと感じることがある。

 

 

ブログでは良い子ちゃんぶったことばかり書いてるけど

僕は昔から性欲が強くて

高校生のころは会話の8割がエロ話だったし

大学生になってからは風俗にハマってしまったときもあった。

 

風俗ですごくタイプの子が出てきたら

やっぱりものすごく興奮する。

 

ただし、そこには「愛」はない。

 

お金と身体の交換という「ビジネス」である。

 

 

こんなにセックスのことばかりを考えてしまう自分は

低俗であることに間違いはないと思うが

自分の思っていることは正直に書いておきたい。

 

 

「関係性」を無視するなら、

自分がより「可愛い」と思う異性を抱いた方が

気持ちいいセックスになるだろう。

 

風俗やワンナイトラブやセフレなどは

このような論理になる。

 

 

しかし

「付き合っている彼女とのセックス」

は毛色が違うはずだ。

 

お互いの愛情が親和することで

おそらく僕が想像できないぐらいの

気持ち良さになるのではないだろうか。

 

 

「愛し合っている同士のセックスは

 どれぐらい気持ちいいのか」

 

ということをそういえば友人に聞いたことがなかった。

 

「俺たちモテないよな〜」

と傷の舐め合いばかりしていたからだ。

 

 

ともかく、愛すべき存在ができたことで

これからの自分は大きく変わっていくだろう。

 

さっき書いたような自分のゲスな部分も直視しながら

健全な関係を築いていけたらなと思う。

 

 

完璧主義はコストがかかる

 

日々生活していてつくづく思うのが

完璧主義はほんとに時間もお金も無駄にしてしまう。

 

 

完璧を期そうとすればするほど

どんどん労力がかかっていって

結果、ものすごく中途半端になったりする。

 

例えば本を読むときに、

1回でじっくり読むよりもザッと3回ぐらい読んだほうが

読むスピードも理解度も高くなることはわかっているのに

どうしても読み飛ばすことができない。

 

そしてどんどん「積ん読」されていく。

 

 

こうやって文章を書いているときも

論理的におかしくならないように

何度も消してはタイプしてを繰り返している。

 

そして、

「もういいや、めんどくさい」

と下書きのまま放置することになってしまう。

 

事実、下書きにしたままの記事が5つぐらいある。

 

 

僕がこのブログを書く目的を改めて考えると

「日々の生活や学びや考えたことを残しておくこと」だ。

 

そして残した記録や考えを

再び、考えるための材料にすること。

 

 

また、日記などではなくブログに書くのは

モビリティが高いから。

オンライン環境さえあればどこでも書いて、閲覧できる。

 

あとは、僕の記事を読んで

意見に共感してくれる人がいることがわかれば

それが学び、やる気に繋がる。

 

 

自分がブログを書く目的を考えれば

それほど体裁は気にしなくてもいいのかもしれない。

 

もっとトピックも自由に扱って

たまに論理がめちゃくちゃなことがあってもいい。

 

別にアフィリエイトしたり、ファンを集める気もないし。

 

 

でも、何かしら記事に反応してくれる方がいたら

それはとてもありがたいです。

 

僕には知らないこと、考えが足りないことが

まだまだたくさんあるから

指摘してもらえた方が学びが深くなるので。

 

 

そういうわけで、

細かいことにこだわってしまう性格は直せないけど

少しでも意識的に「適当にやる」ようにしたい。