人から信用されるには

2週間ぶりのブログ更新。

 

 

昨日、インターン先の社長から

胸にズシンと響く一言を言われた。

 

「君は優柔不断で、飽き性で、気分屋だよね」

 

まったくその通りだと思った。

 

 

なぜならたった3日働いて「やめます」と言い、

 

その後に誘われた飲み会で

「やっぱこの会社楽しいかも」と思い直し

「やっぱりやります」

という始末。

 

さらに社長に

「この仕事は自分に向いてないから、

 こっちの仕事をやらせてほしい」

という提案までしておいて

 

「やっぱり時間的にインターンの僕に

 この業務は無理でした」

なんてぬかすことになった。

 

 

思えば最近の僕は

「やっぱり」ばかり言っている。

 

1度やる気になったかと思えば、

次の日に寝て起きるとテンションが下がり

「やっぱり違うな」と思ってしまう。

 

ダイエットとか自己完結することならまだしも

「これやるので任せてください」

と人に言ったのに、すぐに撤回するのは迷惑でしかない。

 

人の期待を裏切り、計画を狂わせてしまうことになる。

 

 

社長に言われた

「優柔不断で、飽き性で、気分屋だね」

という言葉は

 

一言でいえば

「君は信用できない」

ということだろう。

 

 

前に働いていた営業団体の副社長に

「能力があるやつが信用されるんじゃない。

 継続してやるやつが信用されるんだ」

と言われたのを思い出した。

 

「継続してやっている」

ただそれだけで信用される。

 

たしかにいくら能力があっても

3日でやめるようなやつにプロジェクトは任せられない。

 

 

しかし、継続するのはとても難しいことだ。

 

特に僕のような、興味の幅が広く

可能性を妄想しがちなタイプにとっては。

 

 

僕のような人間が継続できるようになるには

どうすればいいのか。

 

今日考えてみて出た答えはこうだ。

 

「出会った人との縁を大切にすること」

 

 

将来の可能性は無限にあるから、

今やっていることよりもっと楽しいこと、

もっと得することはきっとあるのだろう。

 

でも、それが何かはわからない。

何事もトレードオフだから、全てを選ぶことはできない。

 

ただ1つたしかなことは

出会った中で

「この人は好きだな」という人がいること。

 

そして好きな人たちに

価値を与えて、喜んでもらえることをする。

 

そうしたら、結局幸せな人生になる気がする。

 

 

今は家族に養ってもらっているから

こんなキレイごとが言えるのはわかっている。

 

だからこそ、余裕のあるうちに

将来稼ぐ力や、お金を生み出す仕組みを構築しておこうと思う。

 

僕は幸せもんだ。

 

 

 

岡本太郎「自分の中に毒を持て」

 

岡本太郎の「自分の中に毒を持て」を読んだ。

 

なんとも言葉には言い表しがたいが、

「このままではだめだ」という衝動に駆られている。

 

まだまだ咀嚼しきれていない感があるが、

とてつもない真理を喉元に突きつけられた感覚だった。

 

 

岡本太郎は常に自分と闘ってきた。

 

「幸福」は大嫌いだと切り捨て、危険の先にある「歓喜」を求めた。

 

うわべだけで成り立つシステムに抗い続け、

人々にその激情を表現し続けてきた。

 

 

小学1年生にして教師と対立し、3度も転校しているというから驚きだ。

 

ただの理想論者ではなく、その理想を「生き様」として体現し続けたことに

しびれる。

 

 

ひよっこの僕が岡本太郎と対面し、対話する機会を得たならば

なんという言葉を突き刺されるだろうか。

 

対話をする資格さえないのではないかとすら思える。

 

 

『「危険な道をとる」

いのちを投げ出す気持ちで、自らに誓った。

死に対面する以外の生はないのだ』 p.19

 

岡本太郎は既存のシステムの中でぬくぬくと安住している日本人に

強い問題意識を持っていた。

 

皆、「死に対面すること」を避け、生命を燃やすことなく

ただ惰性で生きていると。

 

志もなく、ただ大学に通う僕に

「お前は死んでいる」と言われたかのようだ。

 

 

僕も安定・安心は嫌いだ。

 

でも怖さゆえに、いつのまにか安心の中にいる。

 

だからこそ生の実感が薄れていき、

虚無感が沸き起こるのだろう。

 

 

この本は劇薬だ。

 

真面目に向き合うと今までの人生を180度変えざるをえなくなる。

 

でも、出会えてよかった。

 

僕も岡本太郎のような強い問題意識を自分の中に醸成して、

周りの人たちに「それでいいのか」と訴えかける存在になりたい。

手に取られなかった作品たち

僕にはお気に入りの場所がある。

 

数千冊の本に囲まれたカフェだ。

 

今日はそのカフェで「トリツカレ男」という小説を

じっくりと読んでいた。

 

 

本を読み終わり、僕は深い感動に包まれた。

 

それと同時に、

この世界で無数に語られてきた物語の全てを

僕は知ることができないのだと悟った。

 

 

物語にはとてつもない力がある。

 

いくら論理的に説得されても心に響かなかったことが

たった1つの物語でストンと納得できてしまったりする。

 

セールスを学んでいたときも、

物語(ストーリー)の力には何度も驚かされた。

 

それだけ、物語は人を動かす力がある。

 

 

そんな物語を創ってきた人々は、

伝えたい「何か」があるのだろう。

 

今回読んだ「トリツカレ男」からは、

 

「好きなことに本気で取り組む姿勢」

「大切な人のために自分の命を投げ出す勇気」

 

これが大切なんだと、ひしひしと伝わってきた。

 

 

もし僕に子どもができたら、

読んでほしい本、知ってほしい物語は

数え切れないほどになっているだろう。

 

けど、押し付けられて読むのはなにか違う気がする。

 

いろいろな偶然が重なって

その子が自分で手に取った物語にこそ、

意味があると思う。

 

 

結局、何が言いたいのかわからなくなってきたが

 

自分の時間には限りがあること

限りある人生の中での出会いを大切にして、

全力で楽しむこと

 

こんなことに気づかせてくれた読書体験だった。