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内省の日々

とある学生の頭の中

考えるほどによくわからなくなるが・・・

 

前回の記事を書いたときを思い返すと

ただ単に気分が高揚していただけだった。

 

次の日の朝になると

「なんであんな極端な考え方になってしまったんだ」

と後悔がはじまった。

 

 

人間には「ホメオスタシス」という恒常性維持機能があって

一時的に気分が高揚したりしても

また平常運転に戻るようになっている。

 

僕だけかもしれないが、

思考の中身は気分に大きく左右されるので

気分と同じく、考えも日によって変わる。

 

幸せな気分なら前向きな考えが浮かぶし

疲れてるときは後ろ向きな考えになる。

 

 

ニーチェ

「寝る前に反省などするのは愚かだ」

と言っていた。

 

なぜなら疲れている状態で考える内容は

どうせ後ろ向きにしかならないから。

 

 

気分と考えの話はともかくとして

自分の中でなかなか答えが出ないのが

 

様々な物事に対して

「いったいどこまで考えるべきなのか」

ということ。

 

 

一般論としては「賢い方が良い」とされている。

 

例えば東大卒の平均年収はやはりダントツで高いし

賢い方が金銭的には豊かになりやすい。

 

僕も「賢い方がいいのだな」と

幼い頃からなんとなく感じていて

それなりに勉強を頑張った。

 

大学に入ってからもたくさんの本を読んで

賢くなろうとした。

 

 

ただ、ふと疑問に思う。

 

高い知性や膨大な知識をもった人間の方が

本当に「良い」のか?幸せになれるのか?

 

 

アルジャーノンに花束を

の主人公であるチャーリーは手術により

IQ200以上の知性を手にいれた。

 

あらゆる書物を読破し、高名な学者がバカに思えるほど

体系的な知識を獲得した。

 

しかし「賢くなれば幸せになれるはず」という期待とは裏腹に、

知りたくないことがわかってしまったり

仲間から疎まれたりして

チャーリーは幸福から遠ざかっていく。

 

 

芥川龍之介もものすごい賢人だったが

自殺している。

 

調べたところによると病や家族の問題があったようだが

遺書には「将来に対するただぼんやりとした不安」とある。

 

おそらく常人にはない複雑すぎる思考の産物として

その「ぼんやりとした不安」が生まれたのだろう。

 

 

僕自身が他の人よりも「賢い」かと言われたら

それなりに自信はある。

 

客観的に数値化するべきではないけど

偏差値でいえば60ぐらいかなという印象。

 

70以上の天才レベルではないことはわかる。

 

人よりも行動力がない分

情報収集したり思考する時間が長かったので

それなりの知性が備わってると思いたい。

 

 

ただ、僕が自信をもっているのは

中途半端な知性ではない。

 

「良い意志を持って生きたい」

という理性がよく働くことだ。

 

「良い意志」とはいったい何なのか

がまだ定まっていないからとてもぼんやりしているけど

「純粋で、美しい生き方をしたい」

という欲求があるのはわかってきた。

 

 

ただ、ふとしたことで苛立ったりすると

自分のプライドの高さを自覚して

 

「下品な人間に成り下がるのが嫌だ」

「他人に見下されたくない」

というのが本音なのかもしれないとも思う。

 

昨日、定期券を購入するときに

後ろの列に並んでいた小学生の女の子に

「早くしろ」と机をトントン叩かれて

ものすごく腹が立ってしまった。

 

「小学生はまだエゴの塊で

社会性を身につけていないからだ」

 

と無理やり抽象化して自分を落ち着かせようとしたが

腹の虫がおさまるのに時間がかかった。

 

小学生の女の子に

「ちょっと待てよ!」と怒鳴るわけにもいかず

ある種、理不尽な状況だった。

 

 

「自分が早く切符を買いたいからって

赤の他人をあからさまにせかすのは

自分勝手すぎる」

 

という理由で自分は怒っていたのかと思ったら

冷静に考えみれば

自分がなめられたことに対して

腹が立ったのだと気づいた。

 

 

つまり僕の内面なんてそんなものだ。

 

まだまだ自分を良くみせようと

必死になっている。

 

根本にあるのは「良い意志」などではなくて

「強すぎる承認欲求」なのかもしれない。

 

 

・・・と、まあこんな感じで

またどうどう巡りになってしまった。

 

全ての思考が繋がって、

自分や世界に対する認識がクリアになるのは

いつになるだろうか。

 

おこがましいけど

名高い哲学者たちもこんなふうに

考えては悩んでを繰り返していたのかな。

 

 

昨日家庭教師をしているときに思ったが

僕が人を叱れないのは

「これがよくてこれがダメだ」

という結論がなかなか定まらないからだろう。

 

他人のいう

「君の気持ちはよくわかった」とか

「このままじゃ君はダメになる」とかって

ほんとにわかって言ってるんかいな。

 

コミュニケーションにおいては

ある程度の決めつけは重要なのかもしれない。

 

 

ダラダラと書きましたがこの辺で締めます。