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内省の日々

とある学生の頭の中

目上・目下のコミュニケーション

 

相変わらずコミュニケーションについての悩みは尽きない。

 

平日は毎日大学に通うようになったので、

知り合いと食堂でランチをする機会が増えた。

 

同い年の友達は、まあ無難に話せているなと思うのだが

年上、年下とのコミュニケーションはどうも難しく感じる。

 

 

僕は年の上下だけで尊敬したりされたりするのは違うと思っているので

「下級生には上から目線で、上級生にはへり下る」

という態度がどうも気にくわない。

 

とはいえ、ずっとそういう文化の中で過ごしてきたせいか

無意識のうちに僕も下級生に対して上から目線になっていたりする。

 

 

今日は1つ上の上級生とお話したが、

僕に対して「教えている」という姿勢が常にある。

 

もちろん僕にプラスになるものを与えようとしてくれているのはわかるし、

ありがたいことだとは思う。

 

ただ、高校生と小学生というほどの差ならまだしも

大学の学年が1つ違うことなど微々たる差でしかない。

 

一方、僕に対する下級生の子も同様で、

僕が上級生だからという理由だけで

本当は言いたいことがあるのに

何かをこらえて接してくれている気がする。

 

 

この国の「年上には敬語を使う」という文化は

コミュニケーションに自然と「上下の関係」を発生させてしまう。

 

この上下の関係が生産性のある会話を妨げていると思う。

 

僕ら日本人の年上、年下の話し合いにおいて

年上の意見は「正しい」し、年下の意見は「未熟である」

というような意識がどこかにあるのではないだろうか。

 

 

仮にAさん(20歳)とBさん(30歳)の会話があったとして、

一般的にはこう考えられる。

 

「Bさんの方が10年も長く生きているのだから

 Aさんよりもまともな意見を持っているだろう」

 

(細かい設定はおいておく)

 

 

だが、ここで忘れがちなのは

AさんとBさんはこれまでに違う環境で育ち

違う経験をし、違う知識を得ているということだ。

 

小学生の経験の積み上げは大したことないかもしれないが

20年も積み重ねれば、必ずBさんよりも優れた分野があるはずだ。

 

もちろん物事に対する感性や考え方も

人によって全然違う。

 

 

このような前提を無視して、

「年上は年下よりも人として上なんだ」

という固定観念をもつのは残念きわまりない。

 

ちなみに僕はいま高校2年生の家庭教師をしているが

僕からすればその子は尊敬できる面をたくさん持っている。

 

だから、命令するような口調では絶対に教えないし

常に「一緒に知恵を絞ろう」というスタンスで指導している。

 

 

この会話様式はもはや日本の文化なので、

「明日から敬語禁止!」なんていうのは無謀な話だ。

 

少なくとも僕は年の差は関係なしに

「一人の人間として尊重する」

という態度を忘れないようにしたい。

 

 

【余談】

 

アメリカがあれだけ発展したのは

英語が基本的に上下を感じさせない言語だからではないだろうか。

 

個人の尊厳が重視され、

年齢差があってもフランクな会話ができるアメリカ人は

日本よりよっぽど率直に意見交換ができるのだろう。

 

英語にもアメリカにも詳しくないので

ただの推測でしかありませんが・・・