個を生きる vs 公のために生きる

夏休みに入り、自由な時間が増えたことで

物思いにふける時間も増えた。

 

最近考えるテーマは、「何のために生きるのか」ということ。

 

その軸の1つとして

「個人の幸福の追求」と「社会貢献の追求」がある。

 

簡単にいえば、

自分のために生きるか

社会のために生きるか。

 

どちらも欠いてはいけない要素なのはもちろんであるが、

自分の理想郷にたどり着くためには

どちらをより追求すべきなのかということ考えたい。

 

 

「公のために」を貫く生き方はどんなだろう。

 

ジャンヌ・ダルクには憧れるが、

果たしてジャンヌ自身は「幸せな人生であった」

という実感を持って死んでいったのだろうか。

 

そこが気になる。

 

 

逆に「個人の幸福」を追求するとしたら

 

好きな人と結婚して子どもを育てて

ある会社のある事業の一端を担い、

のんびりとした老後を迎えて死ぬ。

 

こんな人生になるのだろう。

 

もちろん社会には貢献しているが、

世界を前に進めるほどの貢献ではない。

 

 

僕はけっこう野心家なので、

明確な根拠はないが何か大きなことを成し遂げたい。

 

この世に意味なんてないのかもしれないけど

大きな意味のあることをしたい。

 

 

ただ、こういう大きなことばかりを考えるのは

「独り」だからなのかもしれない。

 

愛する恋人や子どもができたときに

「目の前のこの人たちを幸せにしたい」という思いが強まって、

自分の言動は180度変わることもありえる。

 

そうであると仮定すると、

少なくとも「次の世代につながる」ことをしたい。

 

自分の子ども、またその子どもが

尊厳をもって自由に生きられる社会になるように。

 

 

自分が生きている間だけの短期的な利益だけを求める

浅ましい人間にだけはなりたくない。

 

例えば、遺伝子組み換え食品を自社の利益拡大のために

むやみに推し進めるのは本当に許せない。

 

 

さまざまな人間の意図が複雑に絡み合う世界を

紐解くのはとても難しい。

 

でも、それでも世のために自分に何ができるか

何を残せるのか考え続けていきたい。