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内省の日々

とある学生の頭の中

「嫌われる勇気」は本当に持つべきか

 

「嫌われる勇気」

 

今さら感のあるワードではあるが、

今日友人と飲んでいてふと思ったことを書こうと思う。

 

 

僕は「嫌われる勇気」、「幸せになる勇気」どちらの本も購入して

いちおう読破している。

 

正直、「嫌われる勇気」の内容はとても難解だ。

 

理解できないわけではないが腹に落ちるまで時間がかかる。

 

さらに、「嫌われる勇気」を本当に会得するには

半生をかけなければならないらしい。

 

それほど「嫌われる勇気」を実践するのは難しいということだ。

 

 

面白いのは、難しい内容なのにベストセラーになっているところ。

 

おそらく「嫌われたくない」という誰もが持つ心理に

絶妙に「嫌われる勇気」というフレーズがヒットしたのだろう。

 

内容ではなく、タイトルによって売れているのだ。

 

そして、タイトルによって売れているということは

大半の読者は「嫌われる勇気」という概念を

表面的にしか捉えていないと考えられる。

 

 

これが問題だ。

 

もし仮に、

「嫌われたくない」

→「嫌われる勇気を持てば大丈夫だよ」

→「そうか、嫌われてもいいのか!」

 

こんな単純な解釈をしたとする。

 

そうしたら、「嫌われてもいい」と開き直って

自分中心的な行動に走る人が出てくるのではないだろうか。

 

 

「嫌われる勇気」を持つことによって、

他者から自立して自分の人生を生きるのは素晴らしいことだと思う。

 

しかし、人間は社会性の生き物であり、支え合って社会が成り立っている以上

自分勝手なふるまいばかりではいけないはずだ。

 

 

「嫌われてもいいんだ。好きなようにやっちゃえ!」

 

時にはこう思うことも大事だと思うが、

自分の好きなようにやってばかりではいけない。

 

そこには他者に対する思いやりがないからだ。

 

 

僕は「嫌われたくない」という気持ちは

とても大事なものだと思う。

 

「嫌われたくない」からこそ

他人を思いやった行動をするのではないだろうか。

 

 

僕自身、人一倍「嫌われたくない」気持ちが強い。

 

だから僕は人に迎合しがちだし、八方美人になりがちだ。

 

 

でも、それで僕と接する人は迷惑だろうか。

 

僕が「嫌われたくない」一心で言った褒め言葉で

救われた人もいるんじゃないだろうか。

 

僕が「嫌われたくない」からおごったご飯代で

おごられた人は金銭的に得してるし、何も嫌な感情は抱かないはずだ。

 

 

最後に、僕の答えとしては

「嫌われたくない」気持ちを持ちながらも

時には「嫌われる勇気」を持って人と接する。

 

 

結局、僕も表面的な解釈しかできてない気がするから

もう一度読み直してみようかな。