苦手な人と働くこと

 

10月から働くことになったインターンの研修に参加してきた。

 

6人のインターンの中から2人ずつペアを組んで働くことになるのだが

そのうちの1人がどうも苦手だ。

 

さらに苦手意識が強くなりそうだから

あまりそう思いたくはないのだけど

今日その人とペアで研修に参加してドッと疲れたから間違いない。

 

 

この苦手意識というのはどんなもので

どういう要因で発生しているのかは分からないが

話していると「なんか合わないなこの人」という感覚がある。

 

合わないだけならいいけど、

相手の押しが強いといちいち気を遣ってしまうからとても疲れる。

 

 

僕は単に愚痴りたいわけではなくて

ここから一歩考えを進めて自分が就職する時のことを想像してみた。

 

苦手な人がいない職場で働ける確率はいったいどれぐらいだろうか。

その確率はとても低い気がする。

 

仕事の悩みで一番多いのが人間関係だというけど

その中身は「苦手な人」の存在によるものがほとんどだと思う。

 

こういうことに目をつむって、我慢して働くのが

「大人になる」ってことなんだろうか。

 

 

もし苦手な人と絶対に働きたくないのなら

起業して個人事業主になったり

人を雇う立場に回ったりするという道が考えられる。

 

ただその方法で食うのは、雇われるよりもハードに違いない。

 

僕の中学生時代の夢は「作家になること」だったが

本当に食えるかどうかは置いておいて

性に合ってそうだなと思う。

 

 

とりあえず今のインターンを2ヶ月ぐらいは続けてみて

どうしても他人と働くのが無理だとなったら

サラリーマン以外の道に進んでみるのも悪くなさそうだ。

小学生の家庭教師を始めて得た気づき

 

今月から家庭教師のトライに登録して、

小学4年生の女の子を教え始めた。

 

その子はとても活発な子で集中力が続かないので

教えるのもひと苦労だが、やりがいがある。

 

 

家庭教師をやっていて面白いなと感じるのは

他人の素のままの親子関係を知れることだ。

 

それを知ることで自分自身の親との関係を相対化し振り返ることができる。

 

例えば、親の接し方の長短を知れたり

親・子それぞれどんな気持ちでいたのかを想像できたりする。

 

 

その女の子のお母さんは側から見ていると

とても厳しい態度でその子に接している。

 

その子に「ちゃんと勉強しなさい!」と何度も叱る。

 

関係性はそれほど険悪ではないみたいだけど。

 

 

自分の親はどうだったかというと、

いい意味でも悪い意味でも放任主義だった。

 

箸の持ち方とかはよく注意されていたけれど

勉強に関して何か言われた記憶がほとんどない。

 

あと、過剰に叱られたり褒められたりとかもなかった。

 

僕が「他人の言動を強く否定しない」スタンスになったのは

母親が僕に対してそのように接していたからかもしれないなと気づいた。

 

 

もう1つ、家庭教師をやって得た気づきがある。

 

自分のモチベーションの源泉は

「自分の考えや分析が他人の役に立つこと」

そしてもっと大げさに言うならば

「誰かの救世主になること」だ。

 

 

僕はアニメやマンガでどのキャラが好きかと聞かれると

たいていの場合「主人公」と答えていた。

 

それがなぜかやっとわかった。

 

僕は「救世主」に憧れていたのだ。

 

ダメな状態、ピンチに陥っている人や組織を

1人のヒーローが救い出す。

 

そんなストーリーを求めているのだと気づいた。

 

 

これを仕事に具体化すると、

人や組織に密に関わるタイプのコンサルタントなどが思い浮かぶ

 

ただ、コンサルタントといっても

数字を分析して、フレームワークに落とし込んで、資料を作る

みたいな合理主義的なものは嫌だ。

 

顧客と涙を流し合いながら熱い抱擁を交わすみたいなのが良い。

 

 

ここ数日はかなり気持ちが上向いてきているので

この調子で10月から始まる大学とインターンをスタートさせたい。

 

『罪と罰』を読んで感じたこと

 

ダラダラした日常の中でも、少しでも進歩したいと思い

2年前に購入したドストエフスキーの『罪と罰』を読了した。

 

工藤精一郎の訳で読んだが、文章にやたら勢いがあって面白い。

 

とにかく「!」がたくさん出てくる。

なんだかミュージカルの台本を読まされている感覚。

 

 

罪と罰』は哲学の題材になるほど示唆に富んだ内容なのだが

学のない僕では深いところまで読み取ることはできなかった。

 

これから他の人の考察を読んで理解を深めようと思うが

せっかくなので自分が読んで素直に感じたことを書き残しておきたい。

 

ちなみにネタバレとかは一切気にせずに書くのでご注意ください。

 

 

まず『罪と罰』というタイトルにあるように物語の中心は

主人公ラスコーリニコフが犯す殺人という「罪」と

その罪に対して科せられる「罰」にある。

 

主人公は自身が考える「ある理論」の正しさを証明するために

人を殺してしまう。(金銭的事情や家族のため、心的な病によるものもある)

 

しかしその殺人に対して、苦悩し、逃げ惑い、自殺を考えるが

ソーニャという愛する存在と出会ったことで最終的に救われる。

 

 

僕の足りない頭で考えると

「結局は人間に最も必要なものは愛なんだな」

というありきたりな結論になった。

 

約1200ページも読んでこれだけしか自分の中に残らないのかと思うと虚しくもなるが

それでもこの絶望に包まれた世界観を追体験できたことはよかったと思う。

 

人生には嫌なことや苦しいこともたくさんあるけど

この世界の人々の苦悩を考えればそんなことはちっぽけに思えてくる。

 

絶望に満ちた話なのに、読んだあとはとても爽快な気分で

生きることに対する勇気がわいてきた。

 

そして自分もいつか本当の愛をつかみ取りたいと思う。

 

 

あと、なぜだかわからないが心に残った言葉がある。

 

ポルフィーリーという予審判事(主人公の罪を暴く敵役)が

ラスコーリニコフに対して言った

『苦悩には思想がある』

という言葉。

 

「自分が悩んでいることの中には何らかの思想がある」

もしくは

「悩み続けたその果てに思想が形成され自分の糧となる」

 

という意味ではないかと捉えている。

 

日頃から悩みの耐えない僕にとっては、

悩むことにも意味があり、先に繋がっているのだと思うと

気が楽になった。

 

 

以上のように、あまり体系化して考察することはできなかったが

罪と罰』の世界観やストーリーは自分の中に長く残り続けるだろう。

 

今はまだわからないが、とても意味のある読書体験だったと思う。