「良い人間」になる必要はない

 

昨日の記事を書いてから

色々と考えを巡らせていた。

 

そして今朝出た答えが

「良い人間になる必要などない」

ということ。

 

 

善悪を考えるときには

「誰にとって」を考えなければならなかった。

 

例えば娘の治療費をどうしても用意できなくて

銀行強盗に走る父親

 

社会的には「悪」だが、

本人にとっては「善」かもしれない。

 

 

ここまで追い込まれてしまって、

自分の善が社会の善と対立してしまうような状況は

めったにないとは思うが

 

基本的に世界はこのような

集団間、個人間の「善悪のせめぎ合い」で成り立っている。

 

 

そうなのだとしたら、個人として日本人として

僕はどう考え行動していけばいいのか。

 

別に正解なんてないけど

自己一貫性をできるだけ保った生き方をしたいから

そのために何らかの判断基準、哲学をもっておきたい。

 

 

僕が出した結論はとてもシンプルなものだった。

 

「周りにいる自分が好きだと思う人を大切にすること」

 

 

1人の人間がもつ影響力には限界があるから

誰もかれも救うことはできない。

 

それに、より多くの人を救おうとすればするほど

「善悪のジレンマ」に悩まされることになる。

 

それなら、「自分自身」と「自分が大切にしたい人」を

「善」だと思って行動すればいい。

 

 

もちろん「自分たちさえよければいい」と

他の人たちに害を及ぼすようなことはしたくない。

 

そういう生き方は美しくないから。

 

 

信条にもエネルギーにも限界があるのだから

基本的には自分と周りの人に貢献する。

 

そしてもしエネルギーに余裕があって

自分の信条にあう状況に遭遇したら

「善行」を行おうと思う。

 

 

例えば、自分が疲れてヘトヘトになってるのに

満員電車でお年寄りに席をゆずるのはやめる。

 

それで自分が疲れすぎてしまって

ケガをしてしまったり

ストレスが爆発してしまったりしたら

家族や友人を傷つけたり迷惑をかけるかもしれない。

 

自分は自分だけのものではないのだから。

 

自分という資本は、大切な人のために使いたい。

 

 

今のところはこの考え方で生きていこうと思う。

「自分は"良い"人間だ」という意識

 

今日、彼女の身内に不幸があった。

 

親戚の容体が急変して、病院にいるというときに

彼女から電話をもらった。

 

そういうとき、なんて声をかけたらいいのか

全然わからなかった。

 

ただ、「うん、うん」と頷くぐらいしかできなった。

 

 

こういう誰かを思いやるような場面で、

自分は根っからの「良い人間」ではないのだなと気づく。

 

「良い人間」とは何かと言われたら

明確に定義できないけど

根本に利他心があるような人が

当てはまると思う。

 

 

僕は自意識過剰すぎるせいなのか

根っからの利己的人間なのか

よくわからないけども

「心から相手を思いやる」ことなんて

できる気がしない。

 

頭の中で「良い人間」が考えるようなことを

考えたりするのだが

それは純粋な気持ちから出てきてるものではなくて

 

「こう考えるのが正しい」

という社会的な規範に沿おうとしているにすぎない。

(という自覚がある)

 

 

誰かを思いやるような場面でなくても

自分の内面と向き合ったときに

「クソな自分」がいて呆れることがよくある。

 

そういう自覚があるから

なんらかの「善行」をしたときに

クソな内面との矛盾に吐き気を催したりする。

 

 

誰の心の中にも「驚くほど利己的でクソな自分」は

存在していると思う。

 

ただ、それを自覚できていない人は

きっと楽に生きられるのだろうな。

 

 

マザー・テレサが実は悪女だった』

という記事を読んだときにも思ったが

 

「偉人」も所詮は人なのだから

根っからの「聖人」なんてことはありえないと思う。

(ほんとに悪女かどうかはおいといて)

 

 

昨日も自分の好きなアーティストが

かなり派手な女遊びをしているという噂を聞いて

若干ゲンナリすると同時に「やっぱそうだよな」と思った。

 

人間には良い面もあれば悪い面もある。

 

何事もそうやってうまくバランスを取らないと

無理が生じて破綻するのがオチだ。

 

 

人も物事も「こうだ」と簡単に決めつけずに、

多面的に考えるようにしたい。

小さなステップから始める

 

今日「小さな習慣」という本を読んだ。

 

内容はシンプルで、

「ものすごく簡単な(小さな)目標を立てて

それを継続すれば良い習慣を身につけることができる」

というもの。

 

著者は「腕立て伏せを1回」やってみたことが

30分の運動→ジム通いへと発展し

今ではかなりマッチョになったそうだ。

 

また、「1日50ワードだけ書く」(英語)という小さな習慣が

複数の本の出版につながったらしい。

 

 

この手の「習慣本」はノウハウがギッシリで

読むのすら億劫になってしまうのが常だが

この本はシンプルでいい。

 

「小さな目標」を今日からやってみようと思う。

 

しかも1つだけじゃなくて、

2、3個の目標を同時並行でやってもいいとのこと。

面白そうだ。

 

 

今思えば、半年前から

「日記を書くこと」と「筋トレ」と「ストレッチ」と「瞑想」

は習慣化することができている。

 

これらの習慣のおかげか、

思考力やコミュ力が以前よりも向上した実感がある。

 

より人生をコントロールできている感覚もある。

 

 

ここにさらに「授業の予習・復習」「早寝早起き」などを

習慣化できればもっと充実した毎日になりそうだ。

 

ブログももっと定期的に書くようにしたい。

 

 

とにかく今は単位を取らないと就職すらできないので

「授業の予習・復習」を習慣化しようと思う。

 

「バカらしいぐらい簡単な目標」となると

どんなだろうか。

 

・家に帰ったら教科書を机の上において、

 3分だけ読む

 

とかかな。

 

こういうのは、「やり始め」が最も億劫だから

そこさえ乗り越えられればたぶん自然ともっと読むことになる。

 

あまり厳しい目標を課すと

何もかも投げ出したくなってしまいそうだから

ほんとにアホみたいに簡単なことから始めていきたい。