就活が始まった

 

3月に入って、就活が本格的にスタートした。

 

僕もスーツを着て合同説明会なるものに参加してきた。

 

新聞記者の方やテレビプロデューサーの方に個人的に話を聞きに行くと

とても面白かった。

 

プロデューサーの方からは情熱や仕事に対する愛を感じたし

記者の方からは内に秘める静かな炎のようなものを感じた。

 

僕もあの人たちみたいに自分の理想や信念に従って働きたい。

 

 

情報収集と並行して、「自己分析」というのもやり始めている。

 

たぶん今から始めるのは少し遅いのだろうな。

 

思えばこのブログも自己分析の材料になっている。

 

もう1度読み返してみようかな。

 

 

自己分析本のワークに従って書いていくのもいいけど

このブログで、枠にとらわれずに、考えてることを書いていこうと思う。

世の中の不条理について

 

都会で過ごしていると、つい文句を言いたくなる瞬間がある。

 

僕が最も毛嫌いしているのが「歩きタバコ」だ。

 

 

ひどいニオイがする上に、

受動喫煙による健康被害まであるのだから

本当にタチが悪い。

 

喘息持ちの友人は、タバコの煙を吸うと

咳が止まらなくなるらしい。

 

 

それなのに、歩きタバコをしている本人は平然としていて、

周りに迷惑をかけている自覚がまるでない。

 

自分さえ気持ちよくなれればいいのだろうか。

まるで強姦魔のような精神だと思う。

 

 

ただ、歩きタバコが嫌いだからといって、

いちいち本人を糾弾していたらキリがない。

 

逆上されたりするのも怖いし。

 

でも、平然と歩きタバコができてしまう

「社会的な仕組み」の問題があるはずだから

せめてそれだけでも明らかにしたい。

 

 

歩きタバコが発生する1番の理由は、

「他の人もやっているから」だろう。

 

街中で平気な顔で歩きタバコをする人を見て、

他の喫煙者たちも「別にいいか」と

さも当然のことのように受け入れてしまう。

 

クラス内で起きるイジメと同じような連鎖だといえる。

(みんなアイツのことが嫌いみたいだから、

 俺も仲良くしないでおこう)

 

 

歩きタバコはしてほしくないけど、

どうしてもやりたいなら

せめて「申し訳そうな顔」をしたりとか

背中を丸めてコソコソした態度でいてほしい。

 

でも現実は、むしろ

「タバコくわえてるオレ、カッコいいでしょ」

とでも言いたげな表情をしているから、虫唾が走る。

 

 

ともかく、「周りもやってるから」という意識があるということは

喫煙者たちの中で歩きタバコが「常識化」してしまっているともいえる。

 

常識になってしまうと、「無意識」で行動が処理されてしまうから

いくら注意喚起しようが聞く耳をもつことはない。

 

歩きタバコ常習犯は

歩きタバコ、ダメ絶対。」なんてポスターを無視するし

JTのCMで流されるキレイゴトなんて聞いちゃいない。

 

 

本当に「悪いこと」をしている自覚が芽生えるのは

禁止区域で吸っているところを通報されて罰金を取られたり

喘息持ちの人に「やめてください」と注意されたときぐらいだろう。

 

そういう痛い目を見ない限り、

「なんで俺たち喫煙者が肩身の狭い思いをしなきゃいけないんだ」

と被害者ヅラしながら、さも当然の権利のように

歩きタバコをふかすのでしょうね。

 

 

 

世の中の不条理について書こうと思ったけど

つい歩きタバコへの不満ばかり書いてしまった。

 

ここで少し一般論みたいなことも語ってみたい。

 

 

「不条理だ」とされる社会問題は

歩きタバコ以外にもたくさんある。

 

そして、「不条理」というからには

一筋縄ではいかない複雑な事情がある。

 

保育園の待機児童の問題も(全く詳しくないけど)

土地の問題とか法律の問題とか資金の問題とか

そういったものが複雑に絡み合って生まれてしまったのだろう。

 

 

ーよくテレビでデモの様子が報道される。

 

デモに参加する人々は

『問題の原因は

特定の個人や組織の「怠慢・不正」だと決めつけて

「悪者探し」を始めて

悪者らしき人を見つけたら糾弾する』

 

そんなことをしても、

根本的な解決にはならないし

不毛な議論が始まるだけじゃないか。

 

 

役所に文句を言いに行ったり、デモを起こす前に

「誰が悪いのか?」だけじゃなくて

「なぜこの問題が起こったのか?」

という疑問も同時に持つべきだと思う。

 

デモは「当事者にプレッシャーをかける」という意味では

無駄な行為ではないと思うけど、

不満を叫ぶだけで解決するほど

簡単な問題ではないんじゃないか。

 

 

結論がみえなくなってしまったけど

とりあえず書きたいことは書けたので

この辺で終わります。

 

歩きタバコはほんとにやめてほしいな。

 

 

補足

不満を言っても変わらないとわかっていても

本気で許せない、嫌だと思っていたら

不満を言わずにはいられない。

 

この記事が矛盾した内容になってしまったのは

こんな気持ちが僕の中にあったからだ。

 

 

それに、民法の教科書の中に

「権利のための戦い」

という言葉が書かれていたのを思い出した。

 

これは、50万円の賠償金を勝ち取るのに

100万円をかけて訴訟する人は一見不合理なように思えるけど

裁判を起こすことは「権利を主張すること」であり、

お金よりも大きな「権利」のために戦っているのだという意味だ。

 

デモは裁判のように「判決」がないから

権利を勝ち取る瞬間は訪れないかもしれない。

 

けど、「不満を持つ者がここにいる」確かさを証明することはできるし

感情的な訴えが、当事者の取り組む姿勢を変えることもある。

 

例えば歩きタバコデモを起こしたとしたら、

JTがなんらかの策を講じてくれるかもしれない。

 

 

ただ、僕はやっぱりデモに参加するよりも

問題自体に向き合って解決のための行動を起こす人になりたい。

 

デモは結局「誰かなんとかしてくれよ」という域を出ないから。

そこはあんまり好きじゃない。

後期の振り返り:大学の講義を真剣に受けてみて

 

昨日、後期のテスト・レポートが全て終わり

今日から春休みに入った。

 

 

おそらく29単位分、すべて取得できたはずだ。

 

12月〜2月までは週5で大学に通い、

16コマ分の講義を受けていて

こんなに真剣に取り組んだのは4年目にして初めてだった。

 

レポートを書いたり、教授に質問したり、講義内容をまとめたりする中で

ある程度、脳みそがアップグレードされたように思う。

 

 

複数の教授の話を聞いて印象に残っているのは

「世の中の人は、〜について間違った認識・理解をしている」

という話が何度かあったことだ。

 

 

例えばコーポレートファイナンスの授業では、

日経新聞の見出しをピックアップして

「株価だけで比較するべきではなく、

 株式時価総額で比較しないといけない」

というような話がされていた。

 

あとは「ハイリスク・ローリターン」という用語がビジネス書でたびたび登場するが、そのような概念は存在しない。勝○和代さんは間違っている。

 

というような話もあった。

 

ちなみにその講義は、教授の説明がプロ講師並みにわかりやすく

基本的なところから理解することができたので

なぜ日経新聞や勝○和代が間違った主張をしているのか

初学者でも理解することができた。

 

 

こういった「間違った理解に基づいた情報」というのは

世の中にいくらでもあるのだと思う。

 

WELQの問題も記憶に新しいが、インターネットの発達で情報発信が容易になった分、「質の悪い情報」が蔓延している。

 

やはり身元のわからない発信源よりも、大学教授のように身元がはっきりしていて、かつその分野に精通している人から学ぶことが、より重要になってくるのではないだろうか。

 

もちろん「専門家」だからといっていつも正しいとは限らないが、

基礎を学んで背景にある論理構造を理解できていれば、

易々と騙されることはないだろう。

 

 

来期はもっと体系的に経営学を理解して、

実践で生かせたり

他人に役立てたりできるレベルになりたい。